幕末の人物

山内容堂の名言集です。

勤王派としても佐幕派としても大きな活動をしており、どこを目指していたのかが分かりづらい人物です。この多面性が思想によるものなのか、酒によるものなのかも判断に困るのが特徴です。活躍をはじめるまで1827年の生まれです。容堂の生まれた山内南家は...
幕末の人物

島津斉彬の名言集です。

幕末の薩摩藩にあって名君と呼ばれた、富国強兵を目指し、後の倒幕の力の基礎を築いた人物です。活躍を始めるまで斉彬の生まれは1809年。父は島津斉興、曾祖父は島津重豪です。斉彬は幼少より才を認められたと言われており、四歳にして曾祖父から次代の当...
戦国武将の名言

明智光秀の名言です。

仏の嘘をば方便といい、武士の嘘をば武略という。これをみれば、土地百姓は可愛いことなり。「仏の嘘も武士の嘘も許されるのに、年貢をごまかした百姓だけを罰するのはおかしい。百姓の嘘など可愛いものではないか」明智光秀は温厚で、心の広い人だったように...
戦国武将の名言

後藤又兵衛の名言です。

次勝てばそれでよしビジネスは相手があってのことなので、勝ち続けるということはありえません。勝つこともあれば、負けることもあります。一時の勝敗の結果に神経をすり減らしていては、疲れて果て、仕事の本質も見失います。自分が負けを認めないうちは負け...
戦国武将 辞世の句

大内義隆 辞世の句です。

陶晴賢の謀反によって命を落とした有力大名です。文弱とされてはいますが、さすがの内政力で山口を西京都と呼ばれるほどに隆盛させました。ただの暗愚でなかったのは間違いありません。誕生から家督相続まで1507年、大内義興の長男として誕生しました。こ...
戦国武将 辞世の句

陶晴賢 辞世の句です。

戦国時代と言えば下克上の時代です。京の周辺では裏切りはするが主君を殺めるところまではいかないような、複雑な思いが散見されますが、晴賢はもっとわかりやすい人物でした。出自1521年、父陶興房の元で誕生しました。陶氏は大内氏の重臣の家系で、大内...
戦国武将 辞世の句

朝倉義景 辞世の句です。

浅井長政の同盟者として有名で、共に戦い共に滅んだという印象が強いかと思いますが、実際のところ、義景の方は戦いは苦手だったようで、戦績に見るべきものはありません。が、一般的な評価ほど無能というわけではなく、生まれる時代、もしくは家柄を間違えた...
戦国武将 辞世の句

柳生宗矩 辞世の句です。

剣の達人で知られる柳生石舟斎の息子で新陰流を継承するも、剣術家として以上に、幕府の影での暗躍を描かれることの多い人物です。出自1571年、父柳生宗厳の五男として生まれました。当時松永久秀に仕えていた柳生氏は、松永氏と筒井氏の戦いにも松永方で...
戦国武将 辞世の句

斎藤義龍 辞世の句です。

マムシで知られる美濃の斉藤道三の息子です。父には暗愚と評されましたが軍才にあふれ、統治も順調でした。もし長生きしたならば、信長の勢力拡張に多大な影響を及ぼし、歴史が変わっていたかもしれません。誕生から家督相続まで1527年、道三の長男として...
戦国武将 辞世の句

今川義元 辞世の句です。

今川義元と言えば、桶狭間の戦いで、戦力的に圧倒的優位にあったにもかかわらず、織田信長の奇襲を受けて討ち取られてしまいました。その後、今川家は滅亡に向かいます。桶狭間の戦いがなければ、歴史を根底から変えていたかもしれない人物です。誕生から家督...