幕末の人物 大村益次郎 辞世の句です。 医者であり、蘭学者であり、軍艦を作り、軍政を改革して一軍を率い、最後は陸軍省の前身である兵部省の指揮者となりました。活躍を始めるまで1824年、長州藩の大村で生まれました。大村益次郎の大村は、出生地である大村から来ており、名を改める以前には... 幕末の人物
戦国武将 辞世の句 蒲生氏郷 辞世の句です。 織田信長に気に入られ、豊臣秀吉からも高く評価された名将です。長生きしていれば、関ヶ原の展開はまた違ったものになったことでしょう。出自生年は1556年。蒲生賢秀の三男として誕生しています。父は六角氏に仕える重臣で、観音寺騒動の際には、問題解決... 戦国武将 辞世の句
戦国武将の名言 南光坊天海の名言です。 学んで思わざれば罔(くら)し。思うて学ばざれば殆(あやう)し知識を詰め込むだけでは役に立たないといわれますが、学ぶことが最初に接する知識だったら最初は暗記が大切です。頭の中にどれだけ多く、知識の引き出しを作ることができるかどうかで、その後の... 戦国武将の名言
戦国武将の名言 加藤嘉明の名言です。其の一 人におもねり機嫌を取る人間は、一時は抜群の勇気を奮うが、信用ならぬ。へつらって上の者に可愛がられ、高禄を得て、後ろ指をさされることぐらい、本人もよくわかっている。わかっていて自らを欺くのは、恥を顧みない者である。恥を顧みない者は主人を殺して... 戦国武将の名言
戦国武将の名言 太原雪斎の名言です。 おのれの才がたかが知れたものと、観じきってしまえば、無限に外の知恵というものが入ってくるものだ。若いころは、まだ経験や勉強不足ということが自分でわかっているので、勢いだけで仕事に向かうことができます。しかし、ある程度年齢をかさねてくると自然... 戦国武将の名言
戦国武将の名言 松永久秀の名言です。其の二 世間の人は嘘を云いくるめて、嘘ばかりの世の中に暮らしている。故、たまたま真実ばかり申す者が現れると、それが嘘だと思ってしまう。世間にはいろいろな嘘があります。自分を良く見せたい虚栄心からでる嘘。見え透いた嘘。相手に嫌な思いをさせたくない、相... 戦国武将の名言異色の武将 名言
幕末の人物 武市半平太 辞世の句です。 土佐勤王党の代表であり、土佐藩きっての逸材でした。その名声、人望は西郷隆盛をも凌ぐとも言われたほどでした。活躍を始めるまで1829年に生まれました。武市家は五世代前に土佐藩の白札格に取り立てられていました。階級差別の強かった土佐藩において、... 幕末の人物
戦国武将 辞世の句 筒井順慶 辞世の句です。 二歳にして当主となりました。このような場合外部からだけでなく、内部からも攻撃を受けるのが常ですが、幸いにして順慶は無事に成長を待たれました。誕生から家督相続まで1549年に、父順昭の下で生まれたばかりでした。順昭は大和における勢力を確立した... 戦国武将 辞世の句
戦国武将の名言 母里 友信のエピソードです。 母里友信(太兵衛)は、黒田官兵衛の息子・黒田長政の使者として、京都伏見城に滞留していた福島正則の元へ使わされます。福島 正則は、豊臣秀吉の下で、賤ヶ岳の七本槍と称賛された戦国武将ですが、大酒飲みで酒癖が悪かったと伝えられています。屋敷に招か... 戦国武将の名言
戦国武将の名言 明智光秀のエピソードです。 若いころ光秀は芥川で大黒天の像を拾った。それを見た家臣が「大黒を拾えば千人の頭になれるそうです」と述べて喜んだが、光秀は「ならばこれは必要ない」と捨ててしまった。驚いた家臣が尋ねると、「わしは千人の頭になることくらいで終わるつもりはない。も... 戦国武将の名言