戦国武将の名言 島津 義弘の名言です。 老武士のため、伊吹山の大山を越え難し。たとえ討たれるといえども、敵に向かって死すべしと思う義弘は薩摩国の戦国大名で島津貴久の次男。兄に義久、弟に歳久・家久がいます。義弘は優秀な兄弟の中でも特に数々の武名を残した勇将で、島津氏勢力拡大に大きく... 戦国武将の名言名将の名言
戦国武将の名言 立花道雪の名言です。 戦は運、不運が絡むもの。お前の頑張りは私がよく知っている。手柄を立てようと焦って討ち死にするのは不忠である。お前達がいるからこそ私も安心して戦場に出られるのだ。九州の大名である大友宗麟に仕え、衰退する大友家を支えきった猛将です。大友氏の支流... 戦国武将の名言名将の名言
戦国武将の名言 鳥居元忠の名言です。其の一 我、ここにて天下の勢を引き受け、百分の一にも対し難き人数をもって防ぎ戦い、目覚ましく討ち死にせん。関ヶ原合戦の前哨戦・伏見城の戦いでの奮戦した鳥居元忠の名言です。関ヶ原の戦いの直前、徳川家康は会津の上杉景勝討伐に向かうため、鳥居元忠に伏見城... 戦国武将の名言
幕末の人物 松平春嶽の名言です。 「我に才略無く我に奇無し。常に衆言を聴きて宜しきところに従ふ」福井藩の藩主であり、四賢候の一人に数えられます。幕末から明治初期に活躍をし、その影響は後の時代にもおよび、現代にも受け継がれています。活躍を始めるまで1828年、徳川家御三卿の一... 幕末の人物
戦国武将の名言 朝倉宗滴の名言です。 武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つ事が本にて候「大将というものは犬と言われようと、畜生と言われようと、 勝つことこそが最も大事である」朝倉孝景の八男で孝景の孫である義景の代まで朝倉家の重鎮として活躍します。加賀・能登・越中といった一向一揆... 戦国武将の名言
戦国武将の名言 蒲生氏郷のエピソードです。 蒲生氏郷は少年時代、父・蒲生賢秀が織田信長に降伏したため、その人質になりました。信長は氏郷の非凡さを見抜き、娘の冬姫を嫁がせて一門に加えています。信長亡き後は豊臣秀吉に仕え、小田原討伐等で功を上げ、九十二万石の大大名にまで出世しました。後に... 戦国武将の名言
戦国武将の名言 蒲生氏郷の名言です。 春夏秋冬どれか一つにかたよらず、家風を正すことが主将の器と言うべきであろう。職場の規則、ルール、風紀を守ることも管理職の大切な役割です。職場の風紀で気になることとは遅刻や早退 髪型や服装 急な休み。 私語が多い。 指示を聞かない できない、... 戦国武将の名言名将の名言
戦国武将の名言 山県昌景の名言です。 武士の心がけとしては、その場に臨んで始めるようでは駄目だ。何気なくルーティンワーク化した毎日をこなしてもいいのですが、小さな良い習慣を一つ決めて行動してみませんか?小さな良い習慣なので、その日の結果をみても、たいしたことはないかもしれません... 戦国武将の名言名将の名言
戦国武将の名言 山本勘助のエピソードです。 武田二十四将の一人で、武田の五名臣の一人。武田信玄の伝説的軍師として有名です。架空の人物だといわれていましたが、武田信玄書状に「山本菅介」の名があることから、山本勘助と思われる人物は実在しているようです。勘助の功績の第一として、信州戸石城の... 戦国武将の名言
幕末の人物 大村益次郎 辞世の句です。 医者であり、蘭学者であり、軍艦を作り、軍政を改革して一軍を率い、最後は陸軍省の前身である兵部省の指揮者となりました。活躍を始めるまで1824年、長州藩の大村で生まれました。大村益次郎の大村は、出生地である大村から来ており、名を改める以前には... 幕末の人物