戦国武将 辞世の句

真田信之 辞世の句です。

真田家を存続させた功労者真田信幸(信之)は、真田信繁(幸村)の兄。大阪夏の陣、冬の陣で華々しい活躍している弟の影に隠れていますが、とても優秀な兄です。父の昌幸と共に戦った戦では、家康が信幸の知謀、戦ぶりなどを評価していることが充分に伺えます...
幕末の人物

久坂玄瑞の名言集です。

幕末の動乱の中、尊王攘夷派志士の中心人物として、短い人生を駆け抜けた久坂玄瑞です。藩医久坂家に生まれ家業である医学を勉強するため、藩校医学所好生館に入学します。母、兄、父が次々となくなり十五歳にして家督を継ぐことになりました。十七歳のときに...
幕末の人物

高杉晋作の名言集です。

江戸時代末期の長州藩士。長州藩の尊王攘夷の志士として活躍します。吉田松蔭が開塾した松下村塾四天王の一人。長州藩の藩論を倒幕に転換させた功労者で、自由奔放に物事を考え、行動することができる人物でした。晋作は藩命によって役職を与えられると素直に...
幕末の人物

井伊直弼の名言です。

人は上なるも下なるも楽しむ心がなくては一日も世を渡ることは難しい。直弼は幕末の譜代大名で近江彦根藩の第十五代藩主です。江戸幕府に最も影響を与えた人物です。直弼がいなければ、日本は永久に鎖国をしていたかもしれません。井伊直弼は1815年10月...
戦国武将の名言

島左近の名言です。

ただ城下の繁栄に驕って、下々の憂苦を思わず、武具にのみ力を入れて城郭を構築しても、徳と礼儀がなければ甚だ危うい部署や部下を管理して、人の上に立つ存在である管理職ですが、会社によっては現場の仕事から離れ、完全に管理専門といった仕事になっていき...
戦国武将の名言

大谷吉継の名言です。

金のみで人は動くにあらず大谷吉継は戦国の世にあって、まれに見る義人として知られます。石田三成とともに、豊臣秀吉に重く用いられた大名で、数々の武功をあげています。先見の明もあり秀吉の死後、徳川家康に近づきますが、石田三成が徳川家康との戦いを決...
戦国武将の名言

石田三成の名言です。其の二

大義を思うものは、たとえ首をはねられ瞬間までも命を大切にして、なにとぞ本意を達せんと思う。関ヶ原の戦いで敗れた石田三成は、自刃せずに戦場を離れますが、逃れた先の伊吹山で捕らえられます。六条河原の刑場に引かれていく途中、三成は警護の者に湯が飲...
戦国武将の名言

石田三成の名言です。其の一

残すは盗なり。使い過ごして借銭するは愚人なり。関が原の戦いで敗軍の将というイメージが強い石田三成の名言です。三成の経済観念を表しています。主から予算を渡されたときは、それを残すことなくすべて使い切りなさい。しかし、使いすぎて予算の足がでるよ...
戦国武将の名言

吉川元春の名言です。

律義を旨とし、智少なく勇のみある者は単騎の役にはよいが、大将の器ではない。数千の将たる者は、自分の小勇を事とせず、智計において、人より勝る士でなければだめである。智勇あわせ持たずに、どうして百千の軍兵を指揮できようか元春は洞察力、的確な判断...
戦国武将の名言

毛利元就の名言です。其の四

我は酒が飲めぬから、かように長生きなのだ。酒を飲まなければ、七十、八十まで健康でいられて、目出度いことだ。元就の祖父、豊元は三十三歳、父、弘元は三十九歳、兄、興元は二十四歳、いずれも酒が原因で亡くなっています。元就は酒の場には出ても自らは下...