戦国武将 辞世の句

露の身の消えなば何の咎あらじ ~筒井定慶、世評に揺れた終焉の諦観~

戦国時代の大和国(現在の奈良県)にその名を轟かせた智将・筒井順慶(つつい じゅんけい)。その跡を継ぎながらも、時代の波に翻弄され、最後は大坂の陣で豊臣方として戦い、敗れて処刑された武将がいます。その名は、筒井定慶(つつい じょうけい)。順慶...
戦国武将 辞世の句

我が名は岩屋の苔と共に、雲居の空へ ~高橋紹運、玉砕に刻んだ不滅の忠義~

戦国時代の九州に、その壮絶な最期によって「武士の鑑」と称えられ、敵将からも賞賛された武将がいます。その名は、高橋紹運(たかはし じょううん)。大友氏の重臣として、盟友・立花道雪と共に、衰退する主家を最後まで支え続けました。九州統一を目指す島...
戦国武将 辞世の句

末の露、もとの雫へ ~高橋鑑種、流転の末に見出した無常の理~

戦国時代の九州で、キリシタン大名・大友宗麟のもと、重臣として活躍しながらも、後に主家に反旗を翻し、流転の末に非業の最期を遂げた武将がいます。その名は、高橋鑑種(たかはし あきたね)。(※立花道雪と共に大友家を支え、岩屋城で壮絶な討死を遂げた...
戦国武将 辞世の句

枯れ果つる草の葉、主や結ぶらん ~諏訪頼重、裏切りに散った神官大名の諦観~

信濃国(現在の長野県)に古くから根ざし、諏訪大社の最高神官「大祝(おおほうり)」をも兼ねるという、特別な血筋を受け継いだ名門・諏訪氏。その当主であった諏訪頼重(すわ よりしげ)は、戦国時代の荒波の中で、隣国・甲斐の武田信玄(当時は晴信)の裏...
戦国武将 辞世の句

花散るは風の科ならず、時ぞ至れる ~少弐政資、滅びを受け入れた静かな諦観~

かつて九州北部に栄華を誇った名門・少弐氏。鎌倉時代には元寇(蒙古襲来)の撃退に多大な功績を上げましたが、室町時代以降、その勢力は次第に衰え、隣国の雄・大内氏との熾烈な覇権争いに明け暮れることになります。少弐政資(しょうに まさすけ)は、この...
戦国武将 辞世の句

魂のありかは白雲の末 ~島津歳久、反骨の知将が見せた最後の韜晦~

戦国時代、九州南部から怒涛の勢いで勢力を拡大した島津氏。その快進撃を支えた「島津四兄弟」(義久、義弘、歳久、家久)は、それぞれに個性豊かな名将として知られています。中でも三男・島津歳久(しまづ としひさ)は、優れた知略と冷静な判断力で、兄・...
武将たちの信頼と絆

島津義弘と島津歳久――兄弟が貫いた義と覚悟<

薩摩の名門・島津家の中でも、とりわけ勇名を馳せたのが義弘と歳久の兄弟です。関ヶ原の退き口で伝説を残した義弘と、忠義と覚悟を貫いた歳久。この兄弟の間には、単なる血縁を超えた深い信頼と義が存在していました。戦場に生きた兄弟の信頼島津義弘は、文武...
武将たちの信頼と絆

柴田勝家と前田利家―義と情が結んだ武将たちの信頼

織田信長の筆頭家臣として知られる柴田勝家と、後に加賀百万石の祖となる前田利家。主従関係を超えたような信頼と友情が、混迷の戦国時代を駆け抜ける二人を支えていました。本記事では、義を重んじた勝家と、人情に厚い利家の関係を通じて、武将たちの信頼の...
武将たちの信頼と絆

尼子経久と山中鹿介――滅びの中に輝いた忠義の志

中国地方に覇を唱えた戦国大名・尼子経久。その系譜の中で、最期まで忠義を貫いた家臣がいました。それが「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と天に祈ったことで知られる山中鹿介です。本記事では、尼子家の栄華と没落、そしてその中で育まれた主従の信頼...
武将たちの信頼と絆

斎藤道三と明智光秀―下剋上の時代に交わされた深謀の信頼

戦国乱世の世において、「下剋上」を象徴する存在として知られる斎藤道三。その一方で、明智光秀は「本能寺の変」の謀反人として記憶されています。しかし、両者には深い因縁と、ある種の信頼が交わされていたと考えられる点はあまり知られていません。本記事...