雨と月見団子

戦国武将の名言

後藤又兵衛の名言です。

次勝てばそれでよし ビジネスは相手があってのことなので、勝ち続けるということはありえません。勝つこともあれば、負けることもあります。一時の勝敗の結果に神経をすり減らしていては、疲れて果て、仕事の本質も見失います。自分が負けを認めないうちは負...
戦国武将 辞世の句

大内義隆 辞世の句です。

陶晴賢の謀反によって命を落とした有力大名です。 文弱とされてはいますが、さすがの内政力で山口を西京都と呼ばれるほどに隆盛させました。 ただの暗愚でなかったのは間違いありません。 誕生から家督相続まで 1507年、大内義興の長男として誕生しま...
戦国武将 辞世の句

陶晴賢 辞世の句です。

戦国時代と言えば下克上の時代です。京の周辺では裏切りはするが主君を殺めるところまではいかないような、複雑な思いが散見されますが、晴賢はもっとわかりやすい人物でした。 出自 1521年、父陶興房の元で誕生しました。陶氏は大内氏の重臣の家系で、...
戦国武将 辞世の句

朝倉義景 辞世の句です。

浅井長政の同盟者として有名で、共に戦い共に滅んだという印象が強いかと思いますが、実際のところ、義景の方は戦いは苦手だったようで、戦績に見るべきものはありません。が、一般的な評価ほど無能というわけではなく、生まれる時代、もしくは家柄を間違えた...
戦国武将 辞世の句

柳生宗矩 辞世の句です。

剣の達人で知られる柳生石舟斎の息子で新陰流を継承するも、剣術家として以上に、幕府の影での暗躍を描かれることの多い人物です。 出自 1571年、父柳生宗厳の五男として生まれました。当時松永久秀に仕えていた柳生氏は、松永氏と筒井氏の戦いにも松永...
戦国武将 辞世の句

斎藤義龍 辞世の句です。

マムシで知られる美濃の斉藤道三の息子です。父には暗愚と評されましたが軍才にあふれ、統治も順調でした。もし長生きしたならば、信長の勢力拡張に多大な影響を及ぼし、歴史が変わっていたかもしれません。 誕生から家督相続まで 1527年、道三の長男と...
戦国武将 辞世の句

今川義元 辞世の句です。

今川義元と言えば、桶狭間の戦いで、戦力的に圧倒的優位にあったにもかかわらず、織田信長の奇襲を受けて討ち取られてしまいました。 その後、今川家は滅亡に向かいます。桶狭間の戦いがなければ、歴史を根底から変えていたかもしれない人物です。 誕生から...
戦国武将 辞世の句

松永久秀 辞世の句です。

乱世の梟雄として有名な、戦国時代の大悪人として知られています。善良だったかまでは定かではありませんが、作られた人物象で語られていることも多いのも事実です。 出自 1510年頃の生まれとされていますが、資料に名前の出てくる1540年代までの記...
戦国武将の名言

北条早雲の名言です。

少しでも暇があらば、物の本を見、文字のある物を懐に入れて、常に人目を忍んで見るようにせよ。 後北条氏の祖で、戦国大名の先駆けとも言われる北条早雲(伊勢 盛時)の名言です。早雲は大器晩成タイプの武将で人生五十年が当たり前だった時代に、五十七歳...
戦国武将の名言

長宗我部元親 の名言です。

一芸に熟達せよ 多芸を欲張るものは巧みならず 槍、刀、弓、馬など武士の心得るべき技が多いが、いくつもの技を身につけようとしても中途半端になってしまう。一つの技に秀でる者のほうが役に立つといった意味です。 幼少の頃は色白でおとなしく、軟弱な性...