ビジネスシーンでは、自己紹介や電話応対、来客対応など、自分の状態や位置を示す場面が多くあります。その際、日本語の基本動詞「いる」の敬語表現、特に「おります」と「います」の使い分けは、あなたの敬語力とプロ意識を測る最初のポイントです。一見似ているこの二つの表現ですが、「謙譲語」と「丁寧語」という異なる種類に属しており、使い方を誤ると相手に違和感や不快感を与えることがあります。
本稿では、「おります」と「います」の正確な意味から、社内・社外、上司・顧客など相手や状況に応じた使い分けの原則までを詳しく解説します。また、「おります」が持つ謙譲表現としての役割や、誤用しやすい複合動詞(例:「させていただいております」)への応用についても触れ、プロフェッショナルとして自然で正確な敬語を使いこなすための道筋を示します。
第1章:「いる」の敬語表現の定義と基本構造
「いる」という動詞は、「存在する」または「ある状態が継続している」という意味を持ちます。この動詞を敬語化することで、「おります」と「います」が生まれますが、その機能は大きく異なります。
1. 「おります」は「謙譲語」であり「丁重語」
「おります」は、「いる」の謙譲語です。謙譲語は、自分の動作や状態をへりくだらせることで、相手に敬意を示す表現です。
- 機能: 自分の存在・状態を低める(へりくだる)。
- 使用主体: 自分自身、または自社・身内。
- 敬意の方向: 話し相手(社外の顧客、取引先など)に対して。
「おります」は、特に自分の状態を丁寧に述べる「丁重語」(謙譲語I)の役割を強く持ち、社外の相手に対し、自社の誰かが「いる」ことを伝える際に使われます。
2. 「います」は「丁寧語」
「います」は、「いる」に丁寧語の助動詞「ます」を付けた表現です。これは話し方全体を丁寧にすることで、聞き手に対して敬意を示す表現です。
- 機能: 話し方を丁寧にする。
- 使用主体: 特に限定されないが、主に自分や身内に対して使われる。
- 敬意の方向: 聞き手(話し相手)に対して。
「います」は、社内での上司との会話など、相手が目上であっても、極度にへりくだる必要がない場合に適しています。
第2章:「謙譲の原則」に基づく使い分けの鉄則
「おります」と「います」の使い分けは、「社外の人に話すのか、社内の人に話すのか」という「謙譲の原則」によって決まります。
1. 社外の相手(顧客・取引先)との会話
顧客や取引先は、自分が敬意を示すべき対象です。この相手に対して、自分や自社(身内)の人間について話す際は、自分たちをへりくだらせる「謙譲語」を使います。
動作の主体 | 適切な敬語 | 例文 |
---|---|---|
自分自身(話し手) | おります | 「私、ただ今外出先におります。」 「本日は終日、〇〇会議室におります。」 |
自社の上司・同僚 | おります | 「〇〇部長は、ただ今席におりません。」 「担当の〇〇は、別の電話に出ております。」 |
【NG表現】
(誤)「〇〇は、席にいます。」
解説: 社外の相手に対し、身内を高める(丁寧に述べる)のみで、へりくだりが不足しています。
2. 社内の相手(上司・目上の人)との会話
社内の目上の人に対して話す場合、相手が敬意を示すべき対象ですが、話の主体が「自分」や「同僚」であるため、謙譲語を使う必要はありません。丁寧語「います」で十分です。
動作の主体 | 適切な敬語 | 例文 |
---|---|---|
自分自身(話し手) | います | 「部長、資料は私の机の上にあります。」(存在動詞「ある」) 「本日、私は午後から本社にいます。」 |
同僚・部下 | います | 「田中さんは、今、会議室にいます。」 |
【ただし書き:特殊な場面】
極めて改まった社内文書や、相手(上司)に対して最大限の丁重さを示したい場合は、「おります」を使うこともあります。「私の現在の担当は、営業推進でございます。」
3. 相手の状態を尋ねる時(尊敬語の代用)
「いる」の尊敬語は「いらっしゃる」「おられる」です。相手(顧客、上司など)の存在や状態を尋ねる際は、これらの尊敬語を使います。
- (正)「〇〇様は、まだ社内にいらっしゃいますか?」
- (正)「〇〇様は、そちらにおられますか?」
【NG表現】
(誤)「〇〇様は、そちらにおりますか?」
解説: 相手の行動に謙譲語を使っており、相手をへりくだらせる失礼な表現です。
第3章:「しております」と「させていただいております」の応用
「おります」は単体で使われるだけでなく、「〜している」という状態を示す複合動詞にも頻繁に用いられます。ここでは、特に誤用が多い「〜しております」と「〜させていただいております」に焦点を当てます。
1. 「〜しております」:動作の継続を示す謙譲
「〜している」を謙譲語にしたのが「〜しております」です。自分の業務や、ある状態の継続を外部の相手に伝える際に使います。
- (正)「私、現在、営業を担当しております。」
- (正)「この件につきましては、現在調査中でございます。」(「おります」の丁寧表現)
2. 過剰敬語の温床:「〜させていただいております」
近年、過剰な丁寧表現として問題になることが多いのが「〜させていただいております」です。この表現は「相手の許可を得て行う行為」と「自分にとって利益がある」という二重の意味を持つため、本来は相手の許可があり、自分にメリットがある場合にのみ使うべきです。
例えば、単なる担当業務を伝える場合は「担当しております」で十分です。「担当させていただいております」と言うと、冗長で過剰な印象になってしまいます。
資料の作成報告も同様で、「作成いたしました」が適切で、「作成させていただきました」は不要です。また、会社名を名乗る場合は「〇〇株式会社と申します」が正しく、「〇〇株式会社と申させていただいております」とすると過剰表現になります。
要するに、日常的な業務の継続や事実の報告に「させていただいております」を使う必要はありません。ビジネスでは、基本的に謙譲語「〜しております」を使うことを心がけましょう。
第4章:敬語力の底上げ:類語と間違いやすい表現
「おります」の正しい使用を通じて、さらにビジネス敬語のレベルを上げるためのポイントを解説します。
1. 「おります」と「ございます」の違い
どちらも丁重語ですが、適用される動詞が異なります。
- おります: 「いる」(人や動物の存在、状態)の謙譲語。
- ございます: 「ある」(モノの存在)の丁寧語であり、極めて丁寧な表現。
【例文】
人の存在: 「〇〇は、ただ今外出しております。」
*モノの存在: 「資料は、こちらのテーブルにございます。」
2. 「おる」の尊敬語への誤用回避
「おる」は謙譲のニュアンスを持つため、目上の人の動作には絶対に使ってはいけません。特に、社内での会話でうっかり使ってしまいがちです。
- (誤)「部長は、先週まで海外におられました。」
- (正)「部長は、先週まで海外にいらっしゃいました。」
3. 「おられる」と「いらっしゃる」の使い分け
「おられる」は「いる」の尊敬語であり、西日本を中心に広く使われますが、標準的なビジネスシーンでは「いらっしゃる」の方がより一般的で丁寧であると認識されています。迷ったら「いらっしゃる」を使いましょう。
- (一般的)「お客様は、もういらっしゃいますか?」
- (地域差あり)「お客様は、もうおられますか?」
結び:敬意の「アウトバウンド」が基本原則
「おります」と「います」の使い分けの根幹にあるのは、「アウトバウンド(外向き)の敬意」です。すなわち、外部の顧客や取引先に対し、自分たち(身内)を低める謙譲語「おります」を使うことで、相手を最高度に持ち上げるという原則です。
この原則を理解すれば、電話応対では「〇〇は外出しております」と自然に「おります」を使い、社内では「〇〇さんは会議にいます」とシンプルに「います」を使い分けられるようになります。正しい敬語の使い分けは、細部にまで気を配る信頼できるビジネスパーソンであることの証です。基本的な敬語を磨き、自信を持ってプロフェッショナルなコミュニケーションを実現しましょう。
この記事を読んでいただきありがとうございました。