戦国武将の名言

太原雪斎の名言です。

おのれの才がたかが知れたものと、観じきってしまえば、無限に外の知恵というものが入ってくるものだ。 若いころは、まだ経験や勉強不足ということが自分でわかっているので、勢いだけで仕事に向かうことができます。しかし、ある程度年齢をかさねてくると自...
戦国武将の名言

松永久秀の名言です。其の二

世間の人は嘘を云いくるめて、嘘ばかりの世の中に暮らしている。故、たまたま真実ばかり申す者が現れると、それが嘘だと思ってしまう。 世間にはいろいろな嘘があります。 自分を良く見せたい虚栄心からでる嘘。 見え透いた嘘。 相手に嫌な思いをさせたく...
幕末の人物

武市半平太 辞世の句です。

土佐勤王党の代表であり、土佐藩きっての逸材でした。その名声、人望は西郷隆盛をも凌ぐとも言われたほどでした。 活躍を始めるまで 1829年に生まれました。武市家は五世代前に土佐藩の白札格に取り立てられていました。階級差別の強かった土佐藩におい...
戦国武将 辞世の句

筒井順慶 辞世の句です。

二歳にして当主となりました。このような場合外部からだけでなく、内部からも攻撃を受けるのが常ですが、幸いにして順慶は無事に成長を待たれました。 誕生から家督相続まで 1549年に、父順昭の下で生まれたばかりでした。順昭は大和における勢力を確立...
戦国武将の名言

母里 友信のエピソードです。

母里友信(太兵衛)は、黒田官兵衛の息子・黒田長政の使者として、京都伏見城に滞留していた福島正則の元へ使わされます。福島 正則は、豊臣秀吉の下で、賤ヶ岳の七本槍と称賛された戦国武将ですが、大酒飲みで酒癖が悪かったと伝えられています。 屋敷に招...
戦国武将の名言

明智光秀のエピソードです。

若いころ光秀は芥川で大黒天の像を拾った。それを見た家臣が「大黒を拾えば千人の頭になれるそうです」と述べて喜んだが、 光秀は「ならばこれは必要ない」と捨ててしまった。驚いた家臣が尋ねると、「わしは千人の頭になることくらいで終わるつもりはない。...
戦国武将 辞世の句

細川忠興 辞世の句です。

非凡な才を持っていたことは間違いなく、豪傑でもあり文化人でもありましたが、どこか不調和な違和感を残す人物でもあります。 出自 1563年の生まれで、父は細川藤孝です。誕生時には藤孝は将軍足利義輝に仕えていましたが、二年後には義輝が暗殺されま...
幕末の人物

山内容堂の名言集です。

勤王派としても佐幕派としても大きな活動をしており、どこを目指していたのかが分かりづらい人物です。この多面性が思想によるものなのか、酒によるものなのかも判断に困るのが特徴です。 活躍をはじめるまで 1827年の生まれです。容堂の生まれた山内南...
幕末の人物

島津斉彬の名言集です。

幕末の薩摩藩にあって名君と呼ばれた、富国強兵を目指し、後の倒幕の力の基礎を築いた人物です。 活躍を始めるまで 斉彬の生まれは1809年。父は島津斉興、曾祖父は島津重豪です。斉彬は幼少より才を認められたと言われており、四歳にして曾祖父から次代...
戦国武将の名言

明智光秀の名言です。

仏の嘘をば方便といい、武士の嘘をば武略という。これをみれば、土地百姓は可愛いことなり。 「仏の嘘も武士の嘘も許されるのに、年貢をごまかした百姓だけを罰するのはおかしい。百姓の嘘など可愛いものではないか」明智光秀は温厚で、心の広い人だったよう...