戦国という時代、日本の中心である畿内は、最も激しい権力闘争の舞台となりました。足利将軍家の権威は失墜し、三好長慶という実力者が台頭して畿内に一大勢力を築き上げます。しかし、長慶の死後、三好家は内紛と混乱に陥り、その中で歴史の表舞台に躍り出た者たちがいました。「三好三人衆」。その一人として、将軍暗殺という大罪にも手を染め、そして織田信長という時代の覇者と激しく戦い散った岩成友通の生涯は、乱世の畿内における、ある武将の野望と悲壮な抵抗の物語です。
畿内の覇者、三好家と共に
岩成友通がいつ頃から三好家に仕えるようになったのかは定かではありませんが、三好長慶が細川氏を下して畿内に一大勢力を築き上げていく過程で、岩成友通はその武勇と才覚を認められ、三好家の重臣へと取り立てられたと考えられます。三好長慶は、従来の権威に頼るのではなく、実力をもって畿内を支配するという新しい時代を切り拓いた人物であり、岩成友通もまた、そのような長慶の気概に共感し、その天下への道を支えようとしたのかもしれません。
三好長慶の治世において、岩成友通は各地の戦場で活躍しました。三好軍の有力な部隊を率い、将軍や細川氏の勢力と戦い、三好家の版図拡大に貢献しました。戦場における岩成友通の姿は、三好軍の武威を敵に見せつけるものであったことでしょう。武勇だけでなく、三好長慶の行う政治的な判断や、家中の運営においても、岩成友通はその影響力を増していったと考えられます。
将軍暗殺、深まる混迷
三好三人衆にとって、最大の出来事の一つが永禄8年(1565年)に起こった永禄の変です。この事件において、三好三人衆は、室町幕府第13代将軍、足利義輝を京都の二条御所で暗殺するという大罪に手を染めます。将軍を殺害するという前代未聞の出来事は、畿内の混乱を一層深め、三好三人衆に対する内外からの非難を招きました。
なぜ三好三人衆は将軍暗殺という行動に走ったのか。それは、将軍足利義輝が次第に力をつけ、三好家の権力を脅かす存在となっていたからです。三好三人衆は、三好家の、そして自らの権力を守るために、このような極端な手段を選んだのです。しかし、歴史的な視点から見れば、この将軍暗殺事件は、室町幕府の権威を完全に失墜させ、畿内の政治をさらに不安定にする結果となりました。岩成友通は、将軍暗殺という重い決断を下すにあたり、どのような思いを抱いていたのでしょうか。権力維持のための冷徹な判断であったのか、それとも、他に選択肢がないという絶望的な状況に追い込まれた結果であったのか。その心の内は、歴史の闇の中に閉ざされています。
織田信長との激突
将軍暗殺後、三好三人衆は足利義栄を新しい将軍に擁立しますが、畿内の混乱は収まりません。そして、永禄11年(1568年)、尾張の織田信長が足利義昭を奉じて上洛してきます。信長は、将軍義昭を擁立することで自らの権威を高め、畿内の平定を目指します。三好三人衆にとって、織田信長は三好家の支配権を脅かす、新たな強敵として立ちはだかりました。
岩成友通は、織田信長に対して徹底抗戦の姿勢をとります。信長の上洛後、三好三人衆はたびたび信長と戦火を交えました。野田城・福島城の戦いなど、織田軍の猛攻に対して、岩成友通は三好三人衆の一員として、あるいは自らの部隊を率いて、必死の抵抗を続けました。織田信長という、当時の最も勢いのある戦国大名を相手に、岩成友通は一歩も引かない戦いを挑んだのです。
しかし、織田信長の力は圧倒的でした。三好三人衆は次第に追い詰められ、その勢力は衰退していきます。岩成友通は、最後まで信長に抵抗し続けましたが、ついに天正元年(1573年)、摂津国において織田軍との戦いで討ち死にを遂げたと伝えられています。混迷を極める畿内を駆け巡り、将軍暗殺にも関与し、そして織田信長という時代の覇者と戦い散った岩成友通の生涯は、戦国時代の激しい権力闘争の中に消えていきました。
混迷の時代に散った魂
岩成友通の生涯は、三好長慶の死後、権力の空白地帯となった畿内において、自らの力で時代を動かそうとした一人の武将の物語です。三好三人衆の一員として、将軍暗殺という歴史的な事件に関与し、その名を悪名として後世に残した側面は否めません。しかし、その一方で、織田信長という強敵に対して、最後まで抵抗を続けた武将としての姿もまた、岩成友通という人物の一側面です。
岩成友通の生き様は、戦国時代の畿内が抱えていた構造的な問題を私たちに示唆しています。将軍の権威が失墜し、実力者が権力を握る中で、武将たちは自らの身と家を守るために、あるいは野望を実現するために、時に倫理的に問題のある行動にも走らざるを得なかった。岩成友通もまた、そのような時代の波に翻弄された一人でした。
岩成友通という人物を想うとき、私たちは、激動の時代にあって、自らの信念(あるいは三好家の利益)のために戦い、そして時代の波に逆らって散っていった一人の武将の姿に触れることができます。混迷の畿内を駆け巡り、嵐の中でその生涯を終えた岩成友通。彼の生涯は、私たちに、戦国の世の厳しさ、そして、歴史の大きな流れの中で、人がどのように生き、どのように散っていくのかを静かに語りかけてくるのです。
この記事を読んでいただきありがとうございました。
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