青森県南東部、八戸市の市街地から少し南に位置する大字櫛引。ここに、南部氏ゆかりの城として、櫛引城跡が静かに佇んでいます。馬淵川に面した要害の地に築かれたこの城は、戦国時代に南部氏の一族である櫛引氏が居城とした場所であり、八戸地方の歴史を語る上で重要な意味を持っています。現在、明確な建物は残っていませんが、地形や地名に往時の面影を見つけることができます。この記事が、あなたの櫛引城跡観光の素晴らしい手引きとなることを願います。
櫛引城の歴史:南部氏一族・櫛引氏の拠点と攻防
櫛引城は、築城年代は定かではありませんが、中世から近世にかけて、南部氏の一族である櫛引氏の居城として機能していました。櫛引氏は、南部氏初代光行の四男宗朝の子孫を称しており、この地域に根ざした有力な在地勢力でした。当初は根城南部氏に仕えていましたが、南部守行の時代には三戸南部氏を主君として仰ぐようになります。
しかし、戦国時代の永禄10年(1567年)には、櫛引氏が八戸政栄の留守中にその所領を侵略し、近隣に放火するなど、周辺勢力との衝突も頻繁に起こっていました。元亀2年(1571年)には八戸氏の軍勢によって櫛引城が攻撃を受け、東政勝の支援を得るも、櫛引勢は降伏しています。
さらに、天正19年(1591年)に九戸政実(くのへまさざね)が豊臣秀吉に反乱を起こした「九戸政実の乱(九戸一揆)」では、当時の城主であった櫛引河内守清長・清政兄弟が九戸氏に味方し、九戸城に入りました。この戦いで清長は討死し、清政も九戸政実とともに降伏後に斬首となり、櫛引氏は滅亡しました。
櫛引城は、馬淵川の東岸に接する丘陵の上に築かれた平城で、西は断崖、他の三方は支谷に囲まれた地形的な要害でした。しかし、出丸の強度が低いことや、南方が丘陵続きになっていることが弱点であったとされており、それを補うために一族の支城が築かれていたと考えられています。激動の戦国時代、この櫛引の地で南部氏の一族がどのような運命をたどり、いかにしてこの城を守ろうとしたのか、その歴史に思いを馳せる時間は、非常に感慨深いものです。
見どころ紹介:地形に残る遺構と櫛引八幡宮
櫛引城跡は、現在の八戸市大字櫛引字館神に位置し、明確な城郭遺構としての建物は残っていません。しかし、横600メートル、縦1400メートルという広大な規模であったとされており、畑となっている本郭の東側には空堀の痕跡が確認できる場所もあります。遺構は、チャシ(アイヌの砦)形式の本郭、侍屋敷などを含む外郭、そして堀を挟んで本郭の北の高台にある「今館」と呼ばれた出丸の三つに大別されると伝えられています。
城跡を散策する際は、周囲の地形やわずかに残る高低差に注目することで、当時の城の構造や防御体制を想像できます。
また、櫛引城跡から南に2キロメートルほどの場所に、南部氏ゆかりの「櫛引八幡宮」があります。こちらは「南部一之宮」として古くから信仰を集めてきた由緒ある神社であり、国宝に指定されている「赤絲威鎧兜(あかいとおどしよろいかぶと)」や「白絲威褄取鎧兜(しろいとおどしつまどりよろいかぶと)」など、南部氏にまつわる貴重な宝物が収蔵されています。
城跡と合わせて櫛引八幡宮を訪れることで、櫛引氏や南部氏の歴史、そして当時の文化をより深く感じられるでしょう。ここは、明確な遺構が少ないからこそ、想像力を最大限に働かせながら歴史の深淵に触れることができる場所です。
映える撮影スポット:里山の風景と歴史のコントラスト
櫛引城跡は、馬淵川に面した丘陵地帯にあり、周囲を豊かな自然に囲まれています。特別な撮影スポットが整備されているわけではありませんが、里山の風景の中に、かつての城の痕跡を探しながら、心落ち着く写真を撮影できます。
春には新緑が芽吹き、夏には深い緑に包まれます。秋には木々が鮮やかに紅葉し、冬には雪景色が広がり、静寂な雰囲気が歴史の重みを一層引き立てます。
おすすめの撮影時間帯は、光が柔らかく、城跡全体が穏やかな雰囲気に包まれる早朝や夕暮れ時です。特に、地形の起伏やわずかに残る堀の跡に注目し、歴史の奥深さを感じさせる構図を探してみてはいかがでしょうか。
派手な建造物はありませんが、自然の美しさと歴史の痕跡が調和した、心落ち着く写真を残せる場所なのです。静かな環境の中で、じっくりと歴史に思いを馳せる時間を過ごしてみてください。
現地体験:御城印と周辺の文化施設
櫛引城跡を訪れたなら、歴史散策と合わせて、周辺の地域文化に触れる体験も楽しめます。
櫛引城の御城印:八戸市八幡の飲食店「まちの茶屋 しゃべるばあ~」では、青森大学社会学部の清川繁人教授監修のもと、櫛引城の御城印(ごじょういん)を販売しています。御城印には、南部氏の家紋「向鶴」や流鏑馬のイラスト、櫛引氏の家紋と推定される「丸に四つ目菱」などがデザインされています。
櫛引八幡宮:城跡から比較的近い場所にある櫛引八幡宮は、国宝の甲冑を所蔵するだけでなく、境内に「明治記念館」という県内最古の洋風建築が移築されていたり、馬の産地であった名残の「八幡馬」が点在していたりなど、見どころが豊富です。パワースポットとしても人気があります。
旅の計画を立てる際には、事前に周辺の観光情報やイベント情報を確認することをおすすめします。五感を使って歴史と文化を感じることで、櫛引城跡での思い出はさらに豊かなものになります。
交通手段:櫛引城へのアクセスガイド
櫛引城跡へのアクセスは、主に車か公共交通機関を利用する方法があります。
車でのアクセス: 八戸市内から国道104号線を経由し、櫛引八幡宮方面へ向かうのが分かりやすいでしょう。櫛引八幡宮から南に2キロメートルほどの場所に城跡が広がります。八戸市内からは約20~30分程度です。城跡は私有地や農地になっている場所もあるため、見学の際にはマナーを守るよう心がけてください。周辺には駐車場が少ない場合もあるため、櫛引八幡宮の駐車場などを利用し、そこから徒歩で向かうのが一般的です。
公共交通機関でのアクセス: JR八戸線「八戸駅」または「本八戸駅」が最寄り駅です。各駅から南部バスの「櫛引方面行き」に乗車し、「櫛引八幡宮前」バス停で下車してください。バス停から櫛引八幡宮までは徒歩で数分、そこから城跡へはさらに徒歩で向かうことになります。バスの本数が少ない場合もあるため、事前に時刻表を確認することをおすすめします。ご自身の旅のスタイルや滞在時間に合わせて、最適な交通手段を選択してください。
周辺の観光名所:櫛引城とともに巡る
櫛引城跡周辺には、八戸市の歴史や文化、自然に触れることができる魅力的な観光名所が点在しています。
櫛引八幡宮:国宝の甲冑を所蔵し、南部藩の総鎮守として知られる由緒ある神社です。城跡と合わせて訪れることで、南部氏の歴史をより深く理解できます。
是川縄文館:国宝「合掌土偶」を所蔵する縄文文化を伝える博物館です。縄文時代からの歴史に触れることができます。
八戸市博物館:八戸の歴史や文化を総合的に学ぶことができる施設です。
根城(ねじょう):南部氏ゆかりの国史跡で、当時の建物が復元されており、見学できます。櫛引城とは異なる南部氏の歴史を体験できます。
八食センター:八戸の台所と呼ばれる、活気あふれる市場です。新鮮な海の幸や地元食材を楽しめます。
これらの場所は、櫛引城跡と合わせて巡ることで、八戸の多様な魅力をより深く理解する手助けとなるでしょう。歴史と自然、そして地域の文化が織りなす八戸の奥深さを存分に感じてください。
ご当地の味とおすすめ店:八戸の美食を堪能
八戸市を訪れたなら、ぜひ地元の味覚も楽しんでください。八戸は、海の幸に恵まれた美食の町として知られています。
八戸前沖さば:脂の乗った新鮮なサバは、刺身や炙り、味噌煮など、様々な調理法で楽しめます。
せんべい汁:八戸を代表する郷土料理です。南部せんべいを汁物に入れて食べる独特の食感と、鶏や魚介の出汁が効いた温かい味わいは、ぜひ一度試してほしい逸品です。
イカ:八戸港はイカの水揚げ量が日本有数であり、新鮮なイカ刺しやイカの塩辛などは絶品です。
「田子ガーリックステーキごはん」(ガリステごはん):隣接する田子町のご当地グルメですが、八戸市内の一部飲食店でも提供されている場合があります。
おすすめのお店としては、八食センター内の飲食店街や、八戸市中心街にある居酒屋、食堂などで、新鮮な海の幸や郷土料理を味わえます。また、櫛引八幡宮周辺には「まちの茶屋 しゃべるばあ~」など、地元の味を楽しめる場所もあります。
まとめ:櫛引城、八戸の歴史と文化を感じる静かな旅
櫛引城跡は、南部氏の一族である櫛引氏の居城であり、戦国時代の激動を伝える八戸の重要な歴史スポットです。具体的な建物は残っていませんが、丘陵の地形や、周辺に点在する櫛引八幡宮などの史跡から、古の武士たちの息遣いと地域の歴史を感じることができます。御城印や、八戸の美食もまた、旅の大きな魅力です。
旅の秘訣としては、城跡は屋外の散策となるため、季節に合わせた服装や歩きやすい靴を用意することです。また、公共交通機関の便は限られるため、車での訪問を検討するか、事前に交通手段をしっかり確認し、時間に余裕を持った計画を立てることが挙げられます。櫛引城跡は、歴史のロマンと、地域の文化が融合した場所です。ぜひ一度、この北の大地の歴史の舞台に足を運び、忘れられない思い出を作ってください。
この記事を読んでいただきありがとうございました。