杉谷善住坊-鉄砲に運命を託した狙撃者

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戦国時代、戦の風景は大きく変わりました。刀や槍が主役であった戦場に、遠距離から敵を撃ち抜く鉄砲が登場し、その威力を知らしめたからです。この新たな武器に、己の技と運命を託した一人の男がいました。その名は杉谷善住坊。彼が歴史に名を刻むこととなったのは、稀代の戦国大名、織田信長を狙撃した、あの一瞬ゆえです。

鉄砲の名手、その出自

杉谷善住坊の出自については、明確な記録が少なく、謎に包まれています。近江国甲賀郡の住人であったとか、山伏であったとも伝えられています。しかし、彼が「鉄砲の名手」として知られていたことは確かです。当時の甲賀は、ゲリラ戦や情報収集に長けた忍者で知られ、鉄砲の扱いに習熟した者も多かった地域です。杉谷善住坊もまた、こうした土地で、天性の才か、あるいは血のにじむような鍛錬の末か、類まれな鉄砲の技術を身につけたのでしょう。

乱世において、鉄砲の技術は大きな価値を持ちました。それは時に、一介の無名な人間が歴史を動かす可能性すら秘めていました。杉谷善住坊にとって、その卓越した腕前は、生きていくための術であり、あるいは自らの存在を示す唯一無二の手段であったのかもしれません。彼の鉄砲に対する想いは、単なる技術習得を超え、自らの存在証明そのものであった可能性すら考えられます。

運命を変えた一瞬 – 信長狙撃

元亀元年(1570年)5月、杉谷善住坊は歴史を変えるかもしれない、あまりにも重大な任務を遂行しました。場所は、朝倉攻めから京へ帰還する途中の織田信長が通る近江国の千草越え。杉谷善住坊は、街道から約100メートル離れた場所に潜み、信長が通りかかったその時、自慢の鉄砲を二発放ちました。

しかし、その弾は、信長に命中しませんでした。一説には防具に当たった、かすめたとも言われますが、結果として信長は無傷でした。わずか100メートルの距離から、百発百中の腕前と謳われた杉谷善住坊の狙撃が外れた――。その偶然が、その後の日本の歴史を決定づけたと言っても過言ではありません。

なぜ杉谷善住坊は信長を狙撃しようとしたのでしょうか。六角氏の残党や比叡山延暦寺からの依頼説、個人的な恨みなど、様々な憶測が飛び交いますが、その真実は闇の中です。しかし、当時の信長は、旧勢力を次々と打ち破り、その圧倒的な力で天下に君臨しようとしていました。多くの者にとって、信長は畏怖の対象であると同時に、既存の秩序を破壊する「異端」に見えたことでしょう。杉谷善住坊の狙撃には、そうした信長に対する反発や、時代の変化への抵抗といった背景があったのかもしれません。

追われる日々、狙撃者の孤独

信長狙撃に失敗した杉谷善住坊は、直ちにその場から姿を消しました。当然ながら、激怒した信長は杉谷善住坊の捜索を徹底的に命じます。こうして、杉谷善住坊の、長く苦しい逃亡生活が始まりました。

狙撃に失敗したことで、彼は一躍、天下人・信長に弓を引いた者として追われる身となりました。かつて「鉄砲の名手」として持て囃された腕前は、今や彼を追い詰める呪縛となったのです。山中をさまよい、人目を忍んで隠れ潜む日々。家族や友人とも連絡を取れず、常に追手の影に怯える孤独な逃亡生活は、彼の心に深い傷を負わせたことでしょう。

当時の織田信長は、比叡山延暦寺を焼き討ちするなど、旧来の権威を恐れない苛烈な行動で恐れられていました。杉谷善住坊が狙撃に失敗したことで、信長の怒りがどれほど凄まじいものであったか、想像に難くありません。

苛烈な最期、信長が見せしめたもの

逃亡すること三年。天正元年(1573年)、杉谷善住坊はついに近江国石部宿で捕縛されてしまいます。潜伏していた場所を密告されたとも、偶然発見されたとも言われますが、鉄砲玉が外れたあの日から、彼の運命は確実に破滅へと向かっていました。

捕らえられた杉谷善住坊を待っていたのは、織田信長による極めて残虐な処刑でした。彼は、罪人を生きたまま板に固定し、通りかかった者が鋸(のこぎり)で挽かせるという「鋸挽き」の刑に処せられたと伝えられています。歴史書に記されたその刑の詳細は、あまりにも凄惨で、読む者の心を凍りつかせます。

なぜ信長は、ここまで苛烈な処刑方法を選んだのでしょうか。それは、自分に逆らうことの恐ろしさを天下に知らしめるための、見せしめであったと考えられます。鉄砲という新たな武器で、まさに時代の寵児であった信長を狙ったこと、そしてその命を奪いかけられたことへの、信長の尋常ならざる怒りが、この残酷な刑に表れていたのでしょう。杉谷善住坊の最期は、彼個人の悲劇であると同時に、権力の持つ恐ろしさ、そして乱世の非情さを象徴する出来事として、歴史に深く刻まれました。

鉄砲と運命に翻弄された男

杉谷善住坊。鉄砲の名手として名を馳せながら、その腕前がもたらした一つの失敗によって、追われる身となり、凄惨な最期を遂げた男。彼の生涯は、わずかな間に起きた出来事によって、その後の人生が大きく変わってしまうことの恐ろしさを示しています。

もし、あの時、放たれた弾が信長に命中していたら、歴史は全く異なるものになっていたでしょう。しかし、運命はそうはなりませんでした。杉谷善住坊は、自らの優れた技術によって信長の命を狙いましたが、結局はその技術が彼を追いつめ、苛烈な死へと導きました。彼の生涯は、技術がもたらす可能性と、それが引き起こす悲劇の両面を私たちに突きつけているかのようです。

杉谷善住坊の短いながらも劇的な生涯は、戦国の世の片隅で、己の特技を頼りに生きながらも、巨大な権力の前に為す術もなく散っていった一人の人間の姿を鮮やかに描き出しています。彼の最期に思いを馳せる時、私たちは戦国の非情さ、そして時代の波に翻弄される個人の運命の儚さを感じずにはいられません。杉谷善住坊の物語は、静かに、しかし力強く、私たちに何かを語りかけているかのようです。

この記事を読んでいただきありがとうございました。

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