戦国という激しい時代は、人々に様々な宿命を強いました。ある者は主君への忠義を貫き散り、ある者は時代の波に乗って栄達しました。そして、父の悲劇的な死を乗り越え、激動の時代を生き抜き、自らの力で家を興した人物もいます。美濃国郡上の武士、遠藤慶隆。浅井氏、織田氏、豊臣氏、徳川氏と主君を変えながらも、関ヶ原の戦いでの功績によって大名となり、遠藤家を泰平の世に繋いだ遠藤慶隆の生涯は、波乱の運命と、家を護る強い意志が交錯する物語です。
父と共に、浅井家の傍らで
遠藤慶隆は、美濃国郡上の武士、遠藤直経の子として生まれました。遠藤氏は、美濃国と近江国の国境に近い郡上地方に根ざした家柄であり、遠藤直経は近江の戦国大名、浅井長政に仕えていました。遠藤慶隆もまた、父・直経と共に浅井家臣として武士の道を歩み始めました。
当時の浅井長政は、織田信長と同盟を結んでいましたが、やがて朝倉氏との関係から信長と敵対することとなります。遠藤慶隆は、父・直経と共に、浅井家の織田氏との戦いに参加しました。金ヶ崎の戦いでの織田軍追撃や、姉川の戦いといった、浅井家にとって重要な局面で、遠藤直経は武功を立てたと伝えられています。父の戦う姿を間近に見た遠藤慶隆の胸には、武士としての覚悟と、浅井家への忠義が芽生えていったことでしょう。
父の敵に仕える、苦渋の選択
浅井家の滅亡後、遠藤慶隆は、父の敵である織田信長に仕えることとなります。これは、遠藤慶隆にとって、非常に複雑な心境を伴う決断であったはずです。父の仇である相手に頭を下げること。しかし、戦国という時代にあっては、生き残るためには、このような苦渋の選択を迫られることがありました。遠藤慶隆は、遠藤家を存続させるため、そして武士として生きていくために、父の敵である織田信長に仕える道を選んだのです。
織田家臣となった遠藤慶隆は、信長のもとでどのように過ごしたのでしょうか。父の無念を胸に秘めながらも、新しい主君に仕え、武将としての務めを果たそうとしたはずです。
豊臣、そして徳川へ
織田信長が本能寺の変で倒れると、天下の情勢は再び大きく動き出します。遠藤慶隆は、織田信長の後を継いで天下人となった豊臣秀吉に仕えることとなります。秀吉のもとで、遠藤慶隆はどのような働きをしたのか、詳しい記録は少ないかもしれませんが、新しい時代に適応し、遠藤家を存続させるために、秀吉の家臣として務めを果たしました。
豊臣秀吉の死後、徳川家康が天下人への道を歩み始めると、遠藤慶隆は時代の流れを見極め、徳川家康に接近します。そして、慶長5年(1600年)、天下分け目の関ヶ原の戦いが起こると、遠藤慶隆は迷うことなく東軍、すなわち徳川家康に味方することを決断しました。父の死、主家の滅亡といった苦難を経験してきた遠藤慶隆にとって、この関ヶ原の戦いは、遠藤家の未来を左右する、まさに一世一代の大勝負でした。
関ヶ原の功名、郡上八幡城奪還
関ヶ原の戦いにおける遠藤慶隆の最大の功績は、旧領である美濃国郡上八幡城の奪還でした。関ヶ原の本戦に先立ち、西軍に属する稲葉貞通が郡上八幡城を奪取していました。遠藤慶隆は、徳川家康の命を受け、郡上八幡城を攻めました。長年慣れ親しんだ故郷の城を取り戻すという強い思いを胸に、遠藤慶隆は激しい戦いを繰り広げました。
遠藤軍は、数では劣っていましたが、遠藤慶隆の指揮のもと、果敢に攻めました。郡上八幡城を巡る攻防は激しいものでしたが、遠藤慶隆は武勇をもって城を攻め、ついに郡上八幡城を奪還することに成功します。この功績は、関ヶ原の本戦における東軍の勝利にも貢献したと言われています。父の無念を晴らし、そして遠藤家の故郷を取り戻した、遠藤慶隆の生涯における最大の勝利でした。
大名となる、家を繋ぐ
関ヶ原の戦いでの郡上八幡城奪還の功績により、遠藤慶隆は徳川家康から旧領である美濃国郡上八幡藩二万七千石を与えられ、大名に取り立てられました。戦国という激しい時代を生き抜き、父の悲劇的な死という苦難を乗り越え、自らの力で大名としての地位を確立し、遠藤家を泰平の世に繋いだのです。それは、遠藤慶隆の長年にわたる努力と、時代の変化への適応力、そして家を護るという強い意志が実を結んだ瞬間でした。
郡上八幡藩主となった遠藤慶隆は、藩政の安定に尽力しました。戦乱で荒廃した領国を復興させ、領民の生活を安定させる。それは、戦場での武功とは異なる、新しい時代における武士の務めでした。遠藤慶隆は、郡上八幡の地で、遠藤家を護り、泰平の世を治めたのです。
波乱を越えて、遺された足跡
遠藤慶隆の生涯は、父の悲劇的な死という苦難から始まり、浅井氏、織田氏、豊臣氏、徳川氏と主君を変えながらも、激動の時代を巧みに生き抜き、関ヶ原での功績によって大名となり、家を存続させた、波乱万丈の物語です。
遠藤慶隆は、武勇だけでなく、時代の流れを見極める知恵と、家を護るという強い意志を持っていました。父の敵に仕えるという苦渋の選択、そして関ヶ原での旧領奪還という劇的な功績。それは、遠藤慶隆という人物が、どのような困難にも立ち向かう強さを持っていたことの証です。
遠藤慶隆という人物を想うとき、私たちは、激動の時代にあって、父の無念を胸に秘めながらも、自らの力で未来を切り拓き、家を泰平の世に繋いだ一人の武将の姿に触れることができます。郡上八幡の地に刻まれた遠藤慶隆の足跡。彼の生涯は、私たちに、波乱の運命に立ち向かう勇気、そして、家を護り、伝統を受け継いでいくことの尊さを静かに語りかけてくるのです。
この記事を読んでいただきありがとうございました。
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