栗山利安のエピソードです。

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戦国武将の名言

通称は善助。最初仕官した時は黒田家の下働きでしたが、のちに黒田二十四騎の中で最も優秀な功績を残した八人。黒田八虎にも選ばれています。黒田氏の筆頭家老で黒田官兵衛を支え、苦難を共に乗り越えて来た家臣です。
黒田官兵衛が亡くなる時、息子の長政に「わが亡き後は、栗山備後を父と思え。」と遺言するほど信頼されていました。官兵衛が亡くなった後も子である黒田長政を支え続けています。善助は福岡藩の筆頭家老になっても道で誰かに会った際には身分に関係なく必ず馬から降りて挨拶し、決して礼を失わない人でした。
官兵衛には信頼できる家臣善助と母里太兵衛(萬助)がいました。善助は分別者でしたが、萬助は無分別の利かん坊。一本気で頼もしい性格であったため、官兵衛は善助と太兵衛を呼び「お前たちは兄弟に約束を結べ。善助は年長者だから兄となって萬助を助け萬助は弟となっていかなる場合も善助の言いつけを守ること」と申し渡し、二人に誓詞を書かせます。
母里太兵衛(萬助)は気性が激しく、黒田長政らを困らせていましたが、義兄弟の誓いだけは守り、義兄・栗山善助の言うことには理屈抜きで従ったようです。
親の血をひく 兄弟よりも かたいちぎりの 義兄弟、ではありませんが、いまの時代に仁義、義理、人情といった言葉は、死語になってしまっているかもしれません 。それでも現代の日本人に生き続けているもので、美学、美意識というか責任能力のようなものです。仁義、義理、人情を信念として生きていくことは、私の憧れの生き方です。
戦国武将の名言集に戻ります。

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