秋山信友

秋山信友は、武田信玄、武田勝頼の二代に仕えた重臣で、武田二十四将の一人です。
十六歳の時に、諏訪頼重攻めの初陣で首級をあげる初手柄をたて、さらに伊奈福与城攻めでは一番乗りの戦功を挙げた上、敵将の藤沢頼親を捕縛するという大手柄により、侍大将に任じられました。
二十一歳の若さで伊奈郡代に抜擢され、さらに木曽福島城攻めで戦功を挙げます。以後も各地を転戦し、高遠城、飯田城、大島城などの信濃伊奈方面の守備を任されました。武勇だけではなく知略にも優れ、信玄からの厚い信頼を得た信友は外交的な手腕を発揮します。
信玄が織田信長と同盟を結ぼうとしたとき、多くの重臣が反対する中でひとりだけ信長と同盟を結ぶ利を説き、諸将を同意させ、織田信長の嫡男・織田信忠と信玄の四女・松姫との婚約成立に伴い、岐阜へ名代として赴いている。このとき、信長は秋山信友を手厚く歓待したと言われています。
信玄が西上作戦を開始すると、別働隊の大将として織田領の東美濃に攻め入ります。岩村城は織田信長の叔母に当たるおつやの方が信長の末子・御坊丸を養子として城を守っていました。信友は奇策を用いて、おつやの方と結婚することで岩村城を陥落させます。以後は岩村城主として、東美濃方面の最前線を守ることになりました。
信玄の死後は勝頼が東美濃に攻め入る際に、信玄時代と変わらず、東美濃方面の最前線を戦っていましたが、長篠の戦いで武田軍が敗れると、織田信忠が大軍勢を率いて岩村城を包囲します。死を覚悟した信友は、信忠の提示した和議に応じて開城しますが、信長の命により、秋山信友夫婦は捕らえられてしまいました。その後、長良川で逆さ磔の刑に処されます。
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