九鬼嘉隆

戦国期には九鬼水軍として活躍。「海賊大名」の異名を取った武将です。
伊勢の北畠家に仕えていましたが、嘉隆は滝川一益の仲介により、桶狭間の戦いを制して勢いに乗る織田信長に謁見して、織田家に仕えたとされます。
当時は木造船が一般的であり、燃やされることが、弱点でした。本願寺攻めの際、織田軍は毛利軍に火矢で攻められて大敗します。毛利水軍に惨敗した信長が、九鬼嘉隆に命じて造らせた六艘の安宅船は史上名高い鉄甲船でありました。安宅船と呼ばれ、人力で漕ぐようになっていますが、船首から船尾まで鉄を貼って装甲しているため火に強く、弓や鉄砲を撃つ為の狭間があるので、前後左右の死角がありません。当時は大筒を配置できるようにもなっており、攻撃力、防御力に優れた船でした。
嘉隆の率いる鉄甲船と、滝川一益の大船が石山本願寺の抵抗を物ともせず、毛利氏の水軍を破る活躍で志摩の七島と摂津に領地を加増されます。この戦功によって嘉隆は三万五千石を領する大名となりました。
信長が本能寺の変で死去した後は織田信雄に仕えていましたが、の蟹江城合戦の際に滝川一益の誘いによって羽柴秀吉陣営に寝返ります。 秀吉に仕えた後も水軍の頭領として重用され、活躍します。
関ヶ原の戦いが起こると、嘉隆は西軍に、嫡男守隆は東軍に分かれ戦いました。真田家と同じく、家名を残すための嘉隆の計らいでした。関ヶ原の西軍敗報を受け自害。享年五十九歳の生涯でした。その後九鬼氏は江戸末期でも活躍しています。
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