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    Categories: 武将紹介 筒井家

筒井順昭

残されている資料こそ少ないマイナーな人物ですが、長年にわたって勢力が拮抗していた大和国を掌握するという業績を残しています。

出自

1523年に筒井順興の子として誕生しました。筒井氏は元をたどれば大和にあった興福寺の僧兵でした。この地には守護職がおかれず、藤原氏に縁の深い興福寺がこの地での祭儀をとりまとめ、実質的な支配者として統治に当たりました。
大和国には筒井氏の他、越智氏や古市氏など有力家門があり、大和において勢力を分かち合い、応仁の乱より以前から剣を交えることがありました。
四代前の筒井氏の当主であった、筒井順永は非常に優れた人物で、勢力争いに敗れて領土を失陥していた筒井氏の領地をことごとく奪還し、かえってそれまで以上の版図を築いたとされています。しかし筒井氏の隆盛は続かず、越智氏、古市氏との闘争に敗北してまた没落していきました。
順昭より以前の代に筒井氏ら大和の諸勢力は関係の改善に向かいましたが、危機感を募らせた細川氏によって介入を受けることとなります。そうして大和では争乱が絶えることはなく、順昭の登場を待つことになりました。

大和の掌握

1543年というと、順昭がまだ二十歳になるより少し前のことになりますが、越智氏が筒井方に攻撃を仕掛けようとしましたが、当時順昭が結んでいた畠山稙長の取りなしで血が流れずにすんでいます。しかしそれから三年後、順昭は兵を率いて越智氏を破り、大和における優位を確立しました。
また順昭は木沢長政とも戦い、これを破っています。長政は畠山氏の家臣筋に当たりますが、主家を傀儡とし、実権を牛耳っていた実力者でした。順昭は畠山当主の種長と結んでこれに当たり、大和に勢力を広げていた長政が衰えるに従って、今度は順昭が力をつけていったのです。
しかし長政を打ち破る真の実力があったのは、畿内で活躍を見せていた三好長慶でした。長慶を晴元の陣営に引き入れたのも長政でしたが、ちょうどこの頃に対立することになったのです。
順昭はそういった、三好氏や細川氏内部の騒乱につけいる形で勢力を拡大したことになります。畿内の掌握を目指していた三好氏としては、今度は勢いのある筒井氏が新たなる脅威となりました。そこで順昭に対する抑えとして派遣されたのが、後に長慶が最も信頼する重臣となる、松永久秀でした。

元の木阿弥

順昭は筒井氏の最盛期を築いた名君とされ、その名声は大和に轟き、順昭が健在であればなかなか他国が手を出すことはないと思われていましたが、残念ながら天然痘を患っていたと伝わっており、早世してしまいます。死の前年に隠居し、その際に後事を託すために一計を案じました。
順昭は重臣達七名を呼び出し、嫡男順慶への忠誠を誓わせた上で、影武者を立てることを命じました。奈良に木阿弥という盲目の僧侶がおり、年齢も風貌も声色も、よくよく自分に似ている。木阿弥を連れてきて、自分の身代わりを務めさせ、三年間欺き通せ、と。
家臣達は遺言を守り、国内の者たちですら順昭が亡くなったことには気づかなかったといいます。順昭の死は一年後に公表されたそうですが、その間に順政、順国ら親族による統治体制が確立され、筒井氏の領土が久秀の侵攻を受けるのは九年後のこととなります。木阿弥はその後元の暮らしに戻ったといわれ、この出来事から「元の木阿弥」という言葉が生まれたそうです。
1550年に没した順昭は、まだ二十八歳でした。世継ぎである順慶はまだ二歳の赤ん坊でありましたが、成長して後は久秀に強く抵抗し、最後には久秀にとどめを刺す主力になるほどの成長を見せました。順昭が健在で長生きすれば、大和を取り巻く後々の歴史が変わっていたかもしれません。

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