天童桜祭り

平成30年度「天童桜まつり」の開催日
天童桜まつり期間:平成30年4月8日(日)~5月6日(日)
人間将棋:平成30年4月21日(土)・22日(日)
しだれ桜の夕べ:平成30年4月20日(金)・21日(土)・22日(日)
天童桜まつり
山形県天童市で春に行なわれるお祭りです。桜満開の舞鶴山で二日間開催されるお祭りで、メインイベントは人間将棋です。毎年5万人ほどが訪れています。
人間将棋は鎧武者に扮した人を動かして、将棋を行ないます。豊臣秀吉が合戦を模して、人間を使って将棋をしたことが発祥とされています。秀吉が行なった人間将棋は、伏見での出来事です。それがなぜ、山形県で受け継がれ、伝統として続けられるようになったのでしょうか。
将棋の町の成立
織田家が天童を統治していた江戸時代、財政的に苦しい状況でした。そこで将棋の駒作りで財政再建を目指したのが最初でした。
天童藩では藩士たちが作業にかかりました。明治時代になると分業が進み、駒の作り手と文字の書き手とで別れ、さらには早くに機械化も取り入れ、大人も子供も駒作りに参加しました。
現在、約95%の将棋駒がこの天童市で生産されています。古くは東京大阪などが主要な産地でありましたが、震災や戦争などを経て、天童が一手に引き受けるようになったそうです。
将棋の駒の作成法はいくつかあり、書いたり彫ったり盛り上げたりと、現代でも手製で作っていたりします。
天童市は駒をたくさん作っているというだけではなく、町全体で将棋の普及に貢献しています。人間将棋イベントだけではなく、子供向けの将棋大会もいくつか開催し、町の中には将棋の駒が飾られ、ちょっとした意匠にも将棋の駒が模されています。そうして将棋と深く付き合い、将棋で町づくりをする過程で、人間将棋というイベントも取り入れることとなりました。
天童人間将棋の歴史
1956年、最初の桜祭りが開催されました。当初は町の名士や市長が対局していました。それが次第にプロ棋士を招くようになっていき、イベントの知名度が上がるとともに、出演者も豪華になっていきました。この記事を書いた2016年では、一日目には竹部さゆり女流三段と飯野愛女流一級が対局し、二日目には郷田真隆王将と阿久津主税八段という、タイトル戦のような対局になりました。
人間将棋では通例、全ての駒を最低でも一度は動かそうということが、暗黙の努力目標とされています。そのため普通の将棋とは違い、「あの駒まだ動いてないんだけどどうしようか」ということに頭を悩ませる場面が見られます。これもまた人間将棋の見所の一つであり、この二局でも最後までそれが課題でした。
一日目、飯野女流は負けを確信したところで、ようやく動かせずにいた桂馬を動かせてほっとしたようです。
しかし二日目、先後ともに動かせない駒が一つずつありました。最後の最後、もう決着がつくという場面で、郷田王将を悩ませていた桂馬がついに動くことが出来ました。ですが、阿久津八段の1九の香車殿だけは、出番が来ませんでした。とはいえ、動かしてしまうと負けてしまうので、仕方がなかったそうです。
せっかく参加しているのだから、出番がないのはあんまりだろうという心遣いも、人間将棋ならではの歴史です。おかげで、プロ棋士がぼやきながら対局する姿を見られますので、見ている側も楽しめるのではないでしょうか。
外国との交流
将棋とチェスが親戚であることはご存知でしょうか。これらはともに、同じルーツを持っています。古代インドのチャトランガが起源とされています。天童市は、人間チェスを行なうイタリアのマロスティカ市とは姉妹都市として交流しています。その一環として2009年には、将棋資料館で人間将棋と人間チェスの企画展が開催されました。
また直接将棋と関係があるわけではありませんが、天童市はニュージーランドのマールボロウ市とも姉妹都市であり、その議員である方が天童市で行なわれる人間将棋に駒の役として参加されたりしています。
→他の祭りを見てみる











