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    Categories: ゆかりの温泉

伊達政宗も楽しんだ作並温泉

宮城県仙台市にある作並温泉は、日本で最初に大僧正の位を得た高僧である行基が東北地方を巡行した際に発見されたと言う歴史の長い温泉です。
文治元年(1189年)には、謀反を起こした源義経を匿った藤原氏の征伐のために奥州を訪れた源頼朝がここで兵馬を休めたとも伝えられています。
作並温泉のお湯は弱アルカリ性のため、皮膚の余分な角質を柔らかくして落とすことができ、皮膚病の療養に向くのと同時に美肌効果もあるとされています。歴史も長く、効能にも優れた作並温泉ですが、ここが湯治場として大きく発展したのは江戸時代以降のことでした。そして、この湯治場としての発展には仙台藩の初代藩主である伊達政宗が大きく関わっています。
伊達政宗は、永禄10年(1567年)に伊達家第16代当主である伊達輝宗の嫡男として生を受けました。天正12年(1584年)には家督を継いで、伊達家の当主として積極的の領土の拡大を図っていきます。
天正17年(1589年)の摺上原の戦いでは、会津の蘆名義広を討ち負かし、奥州の盟主としての地位を固めます。天下分け目の決戦となった関ヶ原の戦いでは徳川方につき、江戸幕府成立後も石高六十二万石を誇る仙台藩を樹立し、有力大名としてその影響力を保ち続けます。
藩主となってからは、仙台藩内の開発に力を入れて、北上川流域の開拓、貞山運河の整備を通じた物流網の構築などを進めます。このような開発事業の流れに乗って、作並温泉も湯治場として発展していきます。
寛政8年(1796年)に岩松喜惣治が仙台藩の許可を得て湯治場開発に着手し、8年の歳月をかけて道路や設備を整えたことにより、現代にも続く作並温泉の基礎が固められます。江戸後期の安政2年(1855年)には、石垣彦左衛門、奥山伊三郎と僧侶の秀泉によって新たな湯治場も開湯し、仙台の奥座敷として多くの湯治客を集めるに至りました。
仙台藩内の開発を推し進めた伊達政宗自身も温泉通として知られています。幼少期に天然痘で片目を失ったこともあり、健康に良いものを積極的に生活の中に取り入れようとしていたのでしょう。藩内に自身のための湯浴み御殿を建造して温泉を楽しんだ記録が残っています。
伊達政宗の仙台藩樹立をきっかけとして栄えた作並温泉には、今も開湯に尽力した岩松喜惣治が開業した岩松旅館が営業を続けています。開湯から200年以上が経過していますが、今なお天然温泉がこんこんと湧き続けています。開湯当時の面影をそのままに残した岩風呂に浸かると、戦国時代を駆け抜けた伊達政宗の気持ちに近づけるかもしれません。

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