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    Categories: ゆかりの温泉

浅井長政も湯治に通った須賀谷温泉

滋賀県長浜市にある須賀谷温泉は、小谷山のふもとに湧く滋賀県随一の温泉であり、近くには浅井長政の居城だった小谷城の城跡が残っています。浅井長政も湯治に通っていたとのことであり、その激動の人生を影で支えてきたとも言えます。泉質はヒドロ炭酸鉄泉で、神経痛や筋肉痛の効果が謳われています。浅井長政も須賀谷温泉に浸かることによって疲れを癒し、常に戦に備えていたのかもしれません。
浅井長政は、天文14年(1545年)に北近江の戦国大名であった浅井久政の嫡男として生まれました。
当時の浅井家は、南近江の守護であった六角氏に臣従しており、浅井長政自身も元服の折には六角氏当主である六角義賢から偏諱を受けて浅井賢政と名乗らされていました。
しかし、このような待遇に満足するはずもなく、永禄3年(1560年)に自ら兵を挙げた野良田の戦いで六角軍に大勝し、浅井家の名誉を回復します。この戦いでの勝利は家臣からの信頼も集め、戦国武将として名を上げることにもつながりました。

そして近江の有力武将として織田信長と同盟を結び、永禄11年(1568年)頃に織田信長の妹であるお市の方を妻として迎えたのです。
織田信長との同盟によって長年の宿敵である六角氏の勢力を削ぐことにも成功しましたが、この同盟関係は長くは続きませんでした。天下統一を目指す織田信長と浅井長政の間で利害が衝突し始め、遂に元亀元年(1570年)の金ヶ崎の戦いでは敵味方として分かれることになりました。
天正元年(1573年)には三万の軍を率いた信長に居城である小谷城にまで詰め寄られます。信長は使者を送り降伏を勧めましたが、長政はこれを断り続け、最後は自ら命を絶ちました。
長政の下に嫁いでいたお市の方は織田家の軍勢に救出されて一命を取り留めますが、その後も波乱の人生を強いられます。
浅井家の血筋は自害した長政によって途絶えますが、長政とお市の方の間に生まれた三姉妹は天下人となる豊臣秀吉・徳川家康の下で影響力を発揮し、時代にその爪痕を残します。長政存命の頃は、お市の方とともに須賀谷温泉で家族団らんの時を過ごしていたかもしれないと思うと、歴史のドラマを感じずにはいられません。
須賀谷温泉の近くには、小谷城の歴史資料を集めた小谷城戦国歴史資料館があり、そこでは毎年「「小谷城ふるさと祭り」が開催され、在りし日の浅井家の勇姿を連想させる武者行列が行われています。

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