毛利氏も愛した俵山温泉

山口県長門市にある俵山温泉は千年以上の歴史を持つ古湯であり、木屋川上流の山間部で昔ながらの温泉街を形成しています。リウマチの療養に良い温泉として評判を集めていましたが、その泉質は「霊妙不可思議なる複雑の特殊なる性質」とも形容されるなど、謎に包まれた部分もありました。
近年の研究では、俵山温泉の湯は溶存水素が濃厚であり、極めて高い還元力が持つことがあきらかになっています。俵山温泉がリウマチ療養の名湯として知られたのは、溶存水素の還元作用によって引き出された抗酸化力がリウマチの炎症に効果を及ぼしていたのではないかとも言われています。古人は長年にわたる経験から、俵山温泉の効能を実感していたのかもしれません。
リウマチは古くから知られている疾患であり、これに悩まされた武将も少なくありません。常に戦に備え、兵士の体調管理、練度維持に努めていく上でもリウマチ療養のための湯治場の確保は重要だったと予想されます。戦国武将の中で温泉・湯治場を積極的に管理したのは、俵山温泉のある山口県を含む中国地方一帯を支配していた毛利氏です。
毛利氏の祖である毛利元就は、小国の領主から中国地方一帯の盟主にまで一気に駆け上がった「戦国最高の知将」とも称されている戦国武将です。毛利元就は、明応6年(1497年)に安芸の国領主である毛利弘元の次男として生まれ、家督を継いだ長兄の毛利興元とその嫡男である毛利幸松丸を支えてきました。永正14年(1517年)に吉川領の有田城へ侵攻してきた武田元繁を迎え撃って初陣を飾ります。
この有田中井手の戦いでの勝利は毛利元就の名を広め、毛利氏の勢力拡大につながっていきます。大永3年(1523年)に毛利幸松丸が没した後は、毛利家の当主となり自ら采配をふるいます。
そして、天文24年(1556年)の厳島の戦いなどで戦功を重ね、永禄9年(1566年)には出雲の尼子氏を滅ぼし、名実ともに中国地方一帯の盟主となりました。
毛利元就は気遣いの人としても知られており、常に餅と酒を用意して、身分が低い者にまで声をかけて接するなど、家臣や領民に対して丁寧な対応を心がけていました。
萩藩毛利氏が俵山温泉を藩直営の湯治場として経営し、地域の人達が気軽に利用できるようにしたのも、始祖である毛利元就の考えが大きく影響しているのかもしれません。
俵山温泉は、現在も旅館から共同浴場に足を運んで温泉に入る昔ながらの湯治場スタイルを続けており、町の湯として多くの湯治客が訪れています。
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