真田信繁と別所温泉

長野県上田市の別所温泉は信州最古の温泉であり、日本武尊が東征の折に発見したとの伝説も残されています。日本書紀にもその存在が記されているほか、平安時代末期には木曾義仲が入湯したとも伝えられるなど、武人との縁が深い温泉でもあります。泉質は硫黄泉であり、切り傷、皮膚病に対する効能があるとのことです。武将たちが野戦の疲れを癒す場所でもありました。
別所温泉のある長野県上田市は、戦国時代には武田氏の家臣である真田家の領地となり、天正11年(1583年)には上田城が築かれ、城下町として栄えました。別所温泉がある塩田地区は寺社仏閣も多く「信州の鎌倉」とも称されています。
大阪の陣で武勇を馳せた真田幸村も、上田城を築いた真田昌幸とともに上田の地と別所温泉を愛しました。
真田幸村は、永禄10年(1567年)に真田昌幸の次男として生まれ、当主であった武田氏の衰亡の後に、織田家の家臣となりました。真田幸村の生涯は戦によって彩られており、多くの戦功をあげました。
織田家の家臣になったものの、その当主である織田信長が本能寺の変によって死を遂げると、越後国の上杉氏、相模の後北条氏、三河国の徳川氏との間での領地争いが勃発し、天正13年(1585年)の第一次上田合戦につながっていきます。
この際、真田信繁は上杉氏のもとに人質として置かれ、苦渋の時代を過ごしました。信長亡き後の混乱がおさまり豊臣秀吉が台頭した後には、豊臣家に帰属し、天正18年(1590年)の小田原征伐には父である真田昌幸とともに従軍しています。
豊臣秀吉の死後も豊臣方に残り、関が原の合戦では徳川秀忠の軍勢を上田城で迎え撃っています。この戦いは第二次上田合戦として伝えられ、少数精鋭の真田軍が徳川勢を押し返したとして、真田家の武勇を轟かせるものとなりました。
慶長19年(1614年)に始まる大阪の陣では、真田信繁が大坂城平野口の南に真田丸を築いて、徳川勢と相対しました。豊臣方が劣勢となった後も攻めの手を緩めることなく、徳川家康がいる本陣にまで肉薄するなど、武将としての面目を保ち続け、その激動の生涯を終えます。
別所温泉は戦に明け暮れた真田信繁にとって数少ない癒しの場だったのかもしれません。池波正太郎の著作である「真田太平記」にも、真田信繁と別所温泉の関係が多く描かれています。特に岩間から湯が湧き出す「石湯」は様々な場面で描かれており、今も「真田信繁公隠しの湯」として知られています。
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