武田勝頼が築いた伊香保温泉

群馬県渋川市の伊香保温泉は、日本の名湯として知られ、日本最古の歌集である万葉集の中にも伊香保を歌った和歌が九首おさめられています。このように古くから知られてきた伊香保温泉ですが、今にもつながる温泉街としての隆盛は、戦国時代の武将である武田勝頼によって築かれたものです。
武田勝頼は、天文15年(1546年)に武田信玄の四男として生まれ、川中島の戦いが行われた永禄5年(1562年)に姻戚の諏訪家の名跡を継ぎました。
翌年の永禄6年(1563年)には、上野箕輪城攻めで初陣を飾り、その後も倉賀野城攻めなどで戦功をあげ、武田信玄の晩年の戦にほとんど従軍。家臣の信頼を固め、信玄亡き後には、武田家第二十代当主として家督を継ぎました。
勝頼は、信玄が築いた領土を更に広げていくために積極的に外征し、天正2年(1574年)には織田家の東美濃の明知城、徳川家の高天神城を攻略するなど、後の天下人となる織田信長、徳川家康の両将から勝ち星をあげています。
しかし、天正3年に始まる長篠の戦いでは、鉄砲部隊を有する織田信長・徳川家康連合軍に苦戦を強いられ、退却に追い込まれます。勝頼の軍勢は一万人以上もの死傷者を出す大きな被害を受け、負傷兵の療養に向けた体制整備が急がれました。
そこで武田勝頼が目をつけたのが伊香保温泉でした。武田勝頼は、伊香保周辺を支配していた真田昌幸に療養地の整備を命じ、今につながる伊香保温泉街の姿が出来上がったのです。
伊香保温泉街のシンボルとなっている石段もこの時に整備されたと伝えられています。現在も、伊香保神社へとつながる石段の両側には、温泉旅館、みやげ物屋、飲食店などが軒を連ね、独特の景観を生み出しています。
勝頼自身は、温泉街整備のきっかけとなった長篠の戦いの敗戦後に織田家の軍勢に追われて自害の道をたどりましたが、現在の伊香保温泉街の祖としてその名を今に残しています。
戦乱の世が過ぎ去った江戸時代には、近隣の水沢寺、榛名神社の参拝を目的とした観光客が多く訪れ、江戸の庶民にとって身近な湯治場として人気を集めました。
明治維新後も、夏目漱石、野口雨情、竹久夢二といった文化人に愛されています。明治の文豪である徳富蘆花は伊香保を深く愛し、10回にわたって宿泊した旅館が今も残っています。
明治26年(1893年)には伊香保御用邸も建造され、数多くの皇族も湯治を兼ねた避暑に訪れました。戦国時代から近代に至るまで時の権力者・文化人に愛された温泉と言えます。
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