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    Categories: ゆかりの温泉

北条早雲と湯本温泉

神奈川県箱根町の箱根湯本温泉の歴史は古く、奈良時代の僧侶である浄定坊によって開湯されたと伝えられています。箱根七湯の中でも最も伝統あると言われる湯本温泉は戦国武将との関わりも多く、特に戦国時代初期の武将である北条早雲に関する逸話、古跡が多く遺されています。
早雲は、室町時代後期に備中国で生まれたと伝えられており、応仁元年(1467年)の応仁の乱以降に武将としての才覚を現し始めます。明応2年(1493年)には、室町幕府第10代将軍の足利義稙の命を受けて、義稙の政敵である足利茶々丸がいる伊豆堀越御所を襲撃し、後に伝わる伊豆討ち入りを成功させます。
一説には、北条早雲は伊豆討ち入りを成功させるために湯治と称して修善寺に自ら入り込み、伊豆付近の政情を調べ上げたとも伝えられています。伊豆討ち入りを成功させた後も、手を休めることなく、明応4年(1495年)には小田原城も手に入れ、北条家の基礎を築き上げるまでに至りました。その後も勢力を広げ、永正13年(1516年)には箱根を含む相模国全域を支配下におさめたのです。
北条早雲は、永世16年(1519年)に没しますが、その菩提寺である早雲寺は箱根湯本温泉の近くに建立されています。隣国駿河との国境付近にある箱根への愛着を深く感じることが出来ます。早雲寺の近くには、北条早雲が足を清めたとする「早雲足洗いの湯伝説」が伝えられており、現在もその伝説にちなんだ温泉施設が営業しています。北条早雲が祀られた早雲寺には、北条家ゆかりの武将が多く参拝に訪れるとともに、戦の傷を癒す湯治場として活用されました。北条早雲を始祖とする後北条氏は、小田原一帯の盟主として同地を治め、豊臣秀吉の小田原征伐までその名を残します。
豊臣秀吉の小田原征伐は皮肉なことに箱根湯本温泉の名を広めることにもつながりました。小田原の盟主である北条氏と戦を行うためには、全国から武士を集める必要があります。その際の慰労の場として箱根湯本温泉が活躍したのです。このことにより、箱根湯本温泉の知名度は全国に広がり、街道も整備された江戸時代には、五街道のひとつである東海道に面す温泉街として、旅人からの人気も集めました。
江戸時代の人気作家である十返舎一九の代表作である「東海道中膝栗毛」にも、弥次郎兵衛、喜多八の二人が箱根を訪れて温泉について語るシーンが描かれています。現在も、箱根の玄関口に位置したアクセスの良さも相まって、箱根湯本は日本有数の温泉街としてその名を馳せています。

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