兵庫県神戸市北区有馬町に湧く有馬温泉は、日本三古湯のひとつにも数えられ、古くから時の権力者、文化人に愛されてきました。日本書紀にも舒明天皇が滞在した記録が残されており、千年以上の歴史を有しています。
有馬では様々な泉質の温泉が湧いており、腰痛・関節痛などに効果がある金泉、高血圧症などに効果がある銀泉に代表されるように、多くの療養効果が認められています。戦国時代には、戦の傷を癒しに数々の武将も訪れました。その中でも最も有馬温泉を愛したと言われるのが豊臣秀吉です。
豊臣秀吉は、天文6年(1537年)に生まれたと言われ、松下家の家臣などを経て、天文23年(1554年)頃から織田家に仕え始めました。
清洲城の普請の成功などによって当主である織田信長の信頼を勝ち取り、天正10年(1582年)の本能寺の変以降は、織田家の実質的な後継者として天下人に最も近い存在にまでなりました。
豊臣秀吉が始めて有馬温泉に訪れたのは、天下人としての地位を固め始めた天正11年(1583年)のことと伝えられています。これまでの戦の傷、政争に伴う疲れを有馬の湯で癒したのでしょう。その後も有馬温泉には何度も足を運び別荘を建築。
天正18年(1590年)には蘭若院阿弥陀堂で千利休や津田宗及などを招いた茶会を開催するなど、有馬温泉を盛り立てていきました。
文禄5年(1596年)に発生した慶弔伏見大地震によって有馬温泉も壊滅的な打撃を受けますが、この際も温泉街の復旧、源泉の保全などといった大規模な改修工事を手がけています。
これらの工事は現在にも続く有馬温泉街の基礎を築き、今も有馬の地には、「太閤橋」「ねね橋」「太閤通り」といった豊臣秀吉ゆかりの地名が多く残されているところです。
また、豊臣秀吉のみならず、その軍師として知られる黒田官兵衛も有馬温泉を深く愛したと伝えられています。黒田官兵衛は、天文15年(1546年)に播磨国の姫路で生まれ、秀吉とともに織田家に仕えました。
天正6年(1578年)には、信長に対して謀反を起こした荒木村重の説得のために有岡城に乗り込んでいます。しかし、この説得は成功せず、逆に有岡城内に幽閉されてしまいます。有岡城を攻め落とし、助け出されたときには、足腰が弱りきっていて自らの足で立つのも困難になっていたそうです。この幽閉生活の疲れを癒すために訪れたのが有馬温泉だと伝えられています。週に11回も入湯したことを伝える手紙も残されており、黒田官兵衛も秀吉と同様に有馬温泉を深く愛していたことがうかがえます。