小少将

小少将(こしょうしょう)は、朝倉義景の側室。義景の家臣である斎藤兵部少輔の娘で、生年は不明です。
義景には二人の正室と一人の側室がいました。
最初の正室は細川晴元の娘で、女児を出産した直後に死去。
義景は二人目の正室として近衛稙家の娘を迎えましたが、義景とのあいだに子ができなかったため離縁しています。
その後、側室の小宰相が義景とのあいだに初めての男児である阿君丸を生みました。ところが小宰相は病死。阿君丸も早世して先立たれます。
嫡男に恵まれず、さらに家臣の離反など、相次ぐ不幸で義景は意気消沈して政治から遠ざかりました。
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朝倉家の家臣たちは、政務をなおざりにしている朝倉義景を心配して、小少将を側室として推薦したといわれています。
家臣たちが小少将を薦めた理由は、彼女が人の目を引く美しい容貌の持ち主であったことに加え、人の心をつかむ話力も持っている人柄であるという評判から、義景の気力を回復させることができるのは、彼女だけであると考えられたためです。
家臣の期待通り、義景は小少将を寵愛します。諏訪館と呼ばれる館を与え、小少将は諏訪殿とも呼ばれました。やがて、小少将は待望の男子である愛王丸を生みます。
義景はますます小少将を寵愛し、酒池肉林におぼれ、政務を更に一層なおざりにしました。
一説によると、姉川の戦いときも小少将を寵愛していたともいわれています。
義景が織田信長との戦、一乗谷の戦いに敗れ、一乗谷から大野の賢松寺に落ち延びることになると、小少将は義景に随いました。
一族の朝倉景鏡が裏切り、義景が四十一歳で自害に追い込まれたあと、小少将は四歳であった愛王丸、朝倉義景の母、朝倉義景の血族たちとともに捕らえられ、織田信長の命により殺害。朝倉家は滅亡しました。他説によると、小少将は落ち延びて行方を眩ましたとも伝えられています。
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