諏訪御料人は、諏訪頼重の娘として生まれました。生年は不明です。武田晴信(信玄)の側室であり、武田勝頼の生母です。
晴信が武田家の家督を相続すると、信濃国諏訪上原城主・諏訪頼重、信濃国守護職の小笠原長時が甲斐国に侵攻しますが晴信はこれを撃退します。
その後、諏訪氏の内紛に乗じて諏訪地方を配下に収めました。諏訪頼重は晴信と和睦しましたが、甲府に送られたあとに自害を命じられ、諏訪家が滅亡します。
諏訪御料人が信玄に嫁いだ時期は判明していません。諏訪頼重が切腹したあとに、晴信の側室になったと伝えられています。
晴信が側室に迎えることを決めたところ、家臣は滅亡に追い込んだ一族の女性を側室に迎えることは危険であると意見したが、晴信はこれを聞き入れませんでした。
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諏訪氏の名門である血の入った子どもをもうけ、その子を信濃の領主に据えることで、信濃支配を安定させるもくろみがあったようです。
そして諏訪御料人は、晴信の四男・武田勝頼を出産。諏訪氏の再興を願っての出産でもありました。勝頼は元服する際に、諏訪家の当主に代々つく「頼」の字を加えられ「武田勝頼」と名乗らせます。勝頼に諏訪氏の血を継ぐ者として、諏訪家を相続させるつもりでした。そして勝頼に、諏訪氏の所領だった諏訪・伊奈地方を任せます。
やがて勝頼の子である信勝が、武田氏当主の座を相続することになると、勝頼はその後見として武田氏を統括しました。
1555年頃、諏訪御料人は、諏訪家が再興されることを夢見ながら、二十五歳前後で亡くなります。
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