駒姫は、1581年出羽国最上義光の次女として生まれました。
駒姫は、東国内でもその美貌は名を馳せており、両親も駒姫を溺愛していたと言われています。
やがて、美人であるという評判は関白・豊臣秀次の耳に達し、側室としての要請を受けることになります。これを受けて義光は豊臣秀次の要請を丁寧に断りましたが、秀次が関白に就任した際、これを断ることはできず、駒姫が十五歳になったとき、側室として送り出しました。
一部の記録によると、このとき側室として要請したのは秀次ではなく、その権力に近づこうとした父親の義光であったともいわれています。
駒姫は京都に向かいますが、秀次は豊臣秀吉より謀反の疑いにより切腹して果てました。さらに秀次の側近、正室、側室、子供たちまでも処刑を命じます。
駒姫は、側室として京都に向いましたが、豊臣秀次に面会したこともなく、実質的にまだ側室ではない状態でした。
父の義光は徳川家康にも支援を請い、駒姫の助命に尽力しましたが、駒姫は十五歳という若さで無実ともいえる事件に連座し死去しました。
駒姫 辞世の句です。
罪をきる弥陀の剣にかかる身の なにか五つの障りあるべき
駒姫の母、大崎夫人は後を追うように十四日後に亡くなりました。
義光はこの措置を非常に恨み、以後、駒姫の助命に尽力をつくしてくれた徳川家康に急速に接近し、最上家が関ヶ原で東軍についた理由になったともいわれています。
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