濃姫とともに確かなことは何もわかっていません。以下の記事は武功夜話で描かれていることを参考にしています。
吉乃は生駒家宗の娘として、1527年頃に生まれました。
生駒家は灰や油を取扱うことを家業として、裕福な家柄でした。吉乃は最初、土田弥平次に嫁ぎました。しかしながら吉乃が二十二歳の時に土田弥平次が死去したため、実家に戻ります。そこで織田信長に見染められ、やがて側室となりました。生駒の方とも呼ばれます。
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吉乃は信長の寵愛を一身に受けていたともいわれ、織田信長の嫡男・織田信忠、二男・織田信雄、長女・徳姫の三人の子どもを生みました。
このとき、吉乃は非公式な愛妾であったためか、信長の居城には住まず、これら三人の子どもは生駒家の屋敷内でした。
やがて信長が居城を清洲城から小牧城に移します。このとき吉乃は病床にありました。もともと病弱な体質でしたが、三年続けて三人の子どもを出産し、産後の肥立ちが悪く、体も虚弱になっていました。病気の身では小牧まで移動することもかなわず、新居へ引っ越すこともできなかったのです。
信長は生駒家の屋敷へ足を運び、病床にある吉乃を見舞いました。そして信長が手配した輿に乗り、小牧の新しい小牧山御殿に居を構え移り住みました。このとき正式に家臣に紹介して側室となります。
吉乃は側室でありましたが、三人の子どもを生んだことから、正室に近い扱いであったともいわれています。引っ越した後も信長は何度も見舞いましたが、1566年に吉乃は三十九歳という若さで死去しました。吉乃が亡くなったことを知った信長は涙を流して悲しんだそうです。
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