濃姫

濃姫は1535年に斎藤道三と明智光継の娘で、才色兼備と言われた小見の方(道三の正室)の三女として生まれました。美濃国主の娘であったので、濃姫と呼ばれていますが、本名は帰蝶であったともいわれています。
濃姫は、1548年秋、織田家と斉藤家の政略結婚により、織田信長の元に嫁ぎました。濃姫が、織田家に嫁いだ後については、道三の娘にして信長の正室にもかかわらず史料が少ないために、離婚説、生存説、いくつかの説が存在します。
一般的にいわれている説によると、織田信長と濃姫の間には子供が生まれていませんでした。信長の子女は明らかになっている者だけで二十二人いますが、みな側室の子どもです。
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濃姫は、まむしと称される道三の娘にふさわしく、その性根はしっかりしていたようで、家臣の面倒をみること、家中における正室として側室を束ねるなど、奥向きをきちんと取りしきり、内助の役割を担っていたと考えられています。
濃姫は本能寺の変の際には大坂の堺に住んでいた。または安土城におり、家中の者、側室などを避難させた夫人であったなどと語られることが多くなっています。
一説によると本能寺の変の際に、本能寺で、なぎなたをふるい、織田信長とともに、迫りくる敵兵と戦死したともいわれますが、信長の一周忌を信長の正室が行ったという説もあり、本能寺の変で戦死したという説は信憑性が低いものとなっています。
しかし濃姫の最期は不明です。有力な説によると、安土殿といわれる信長の正室にあたる夫人が、信長の菩提寺である総見院に、1612年に七十八歳で死去し、葬られたとされています。
濃姫が安土殿にあたるか、濃姫以外の夫人であるかの確証はありません。歴史上で信長の関係人物として必ずその名を登場する濃姫ですが、信長との結婚後の生活は謎に包まれています。
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