千姫は、1597年伏見城内の徳川屋敷で、徳川秀忠とお江の長女として生まれました。織田家の血筋から流れる聡明さと美貌を受け継いでいたといわれています。
千姫は、祖父・徳川家康が取り決めたとおり、七歳の時、従兄にあたる豊臣秀頼と結婚し、正室として大坂城に住みました。夫・秀頼との夫婦仲はよく、また穏和であったとそうです。二人の間に子どもは生まれませんでした。
絵に描いたような政略結婚でしたが、二人は仲むつまじく幸せな日々を送ります。しかし徳川家と豊臣家の関係が悪化。
ついに大坂の陣が勃発します。1614年に大坂冬の陣、1615年に大坂夏の陣で大阪城が落城。秀頼は自害しました。千姫は落城する大阪城から救出されて生き残りますが、初めての結婚は悲しい結末になりました。
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秀頼の死後、父・徳川秀忠のすすめにより、1616年に本多忠勝の孫、本多忠刻と再婚しました。このとき千姫の輿入れの行列を襲う計画を津和野藩主、坂崎直盛が立てていることが発覚。坂崎直盛は自害(または家臣に殺害され)、坂崎家は改易とされた千姫事件が発生しました。忠刻と千姫は非常に仲むつまじい夫婦で、美男美女の夫婦であったといわれています。姫路城、三の丸には武蔵野御殿と呼ばれる千姫の屋敷も建てられそうです。
千姫は長女・勝姫、長男・幸千代を生みました。しかし、幸千代が三歳で死去。さらに忠刻が三十一歳の若さで病死。母のお江も亡くなります。未亡人となった千姫は、娘の勝姫を連れて江戸城に入りました。その際には多くの藩士や町人が別れを悲しんだといわれています。
江戸に入った千姫は出家して天樹院と号しました。出家後は娘の勝姫とともに竹橋の屋敷で暮らします。勝姫が1628年に勝姫が池田光政へ嫁ぎ、父・徳川秀忠が死去。
その後、天樹院は、徳川家光の側室・夏と徳川家光の三男・徳川綱重と暮らしました。
将軍であった弟の徳川家光との姉弟の仲がよく厚遇したため、幕閣に対しても影響力を持ち、勝子の嫁ぎ先である岡山藩池田家も、その恩恵を受けたようです。千姫は七十歳で波乱の人生を終えました。
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