お初は、1570年頃浅井長政とお市の方の次女(浅井三姉妹)として生まれました。
浅井長政が織田信長に攻められると、居城小谷城が落城する際に、母妹らとともに信長の下に引きとられます。伯父の織田信包のもとに身を寄せました。
本能寺の変の後、母・お市は、1582年に織田家重臣、柴田勝家と再婚し、淀殿は母や妹とともに北の庄城に移りました。
その後、羽柴秀吉と柴田勝家が対立。秀吉の攻撃により勝家とお市の方は自害しました。三姉妹たちは城外に出て、秀吉の保護を受けます。織田有楽斎の保護の下、安土城に住みました。
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1587年お初は従兄の京極高次と結婚しました。高次の母は浅井長政の姉で、妹は秀吉の寵愛をうけた側室・松の丸です。高次は強運の持ち主でした。高次は浅井家の滅亡後、信長・秀吉に仕えます。本能寺の変では、明智光秀についていたにもかかわらず、松の丸の嘆願で助命どころか、厚遇され大津城六万石の大名になりました。
豊臣秀吉の死後、徳川家康と石田三成が対立すると、高次は西軍につくと思わせ、東軍に転じます。本戦前日、大津城は落城し開城、京極高次は剃髪して高野山に入りました。関ヶ原の戦いにおいて東軍が本戦に勝利したことで京極高次は下山することを説得され、若狭一国を与えられました。
高次は1609年に死去し、お初は出家して常高院と号しました。豊臣家と徳川家の対立が深まると、常高院は豊臣方と徳川方の仲介役として尽力しました。
1614年、大坂冬の陣では徳川方の阿茶局と会し、和睦を取りまとめました。その後は大坂城に滞在し、淀殿、豊臣秀頼室で姪である千姫を支えました。
翌年再び豊臣方と徳川方の交戦が避けられない状況になると、大坂城を出て、その落城を目の当たりにしました。豊臣家が滅亡すると豊臣秀頼の娘、天秀尼の助命を徳川家康に嘆願したともいわれています。
その後は江戸にも滞在し、妹・お江と頻繁に会っていました。お初は1633年に京極家の江戸屋敷で亡くなります。六十四歳、浅井三姉妹の中で一番長生きでした。
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