松平忠直

松平忠直は江戸幕府二代将軍・秀忠の兄である結城秀康の長男。徳川家康の孫、徳川秀忠の甥です。徳川家光や徳川光圀などの従兄にあたります。
秀忠の娘・勝姫(天崇院)を正室に迎える。元服の際には秀忠より偏諱を授かり忠直と名乗ります。十三歳で父の後を継いで藩主となり、越前七十五万石を相続しました。家康も秀忠の兄である結城秀康の越前松平家には気をつかい、御三家に次ぐ「御制外」という特権を与えています。
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大坂冬の陣では真田丸の攻防で、真田勢の攻撃により大敗。もっとも多い戦死者をだして、家康の機嫌を損ねました。
冬の陣で忠直は自ら先陣を切って突進。真田隊と激戦を繰り広げ、真田信繁を討ち取ります。そして大坂城へ真っ先に攻め入り、大阪城一番乗りを遂げるなど、敵方の首三千七百余りを取り、徳川方の諸大名の中でも一番の手柄をたてました。
しかし、忠直には期待したほどの恩賞はありませんでした。「参議従三位」という位を授かり、名品とうたわれた「初花」の茶器を贈られただけで、領地の加増はありませんでした。
その後、忠直は次第に幕府への不満を募らせます。病を理由に江戸への参勤を怠り、勝姫の殺害を企て、また、軍勢を差し向けて家臣を討つなどの乱行が目立つようになると、秀忠は忠直に隠居を命じます。忠直は生母の説得もあって隠居に応じ、隠居後は出家して一伯と名乗りました。
豊後では道路や田畑の整理を行うなど、地元に貢献した立派な殿様だったという話も残っています。五十六歳で亡くなりました。
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