謙信の父・為景の代から長尾氏の臣下となり、晴景、景虎に仕えます。景虎が春日山城主となるころには側近として活躍しました。
武田信玄、織田信長、北条氏康との戦いに参加して戦功を上げ、とくに第四次川中島の戦いでは、直江景綱や甘粕景持と奮戦。色部勝長・中条藤資らとともに謙信から「血染めの感状」を賜っています。
その後、謙信の死後に起きた御館の乱では上杉景勝を支持。景勝に背いた新発田重家の謀反鎮圧の陣中で病没したと伝えられています。
天正十年(1582年)に死去したとされていますが、『安田氏系譜』では長秀が弘治二年(1556年)に死去しており、感状を受けたのは長秀の子の安田有重という説もあります。
長秀は上杉家で長く活躍していても、父親や子供の名前、生年月日、没年齢もいくつかあって、いろいろなことが不詳となっている謎の人物です。
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