色部勝長

色部勝長は長尾為景、晴景、上杉謙信と三代にわたって仕えた重臣です。色部氏は、越後国平林城を本拠とした国人領主で、当主が勝長のときに上杉謙信の家臣として活躍します。
勝長は、侍衆御太刀之次第によると1559年に披露太刀の衆も務めたともいわれています。
謙信が二回目の上洛から帰国した時に家臣が太刀を送って祝しました。このとき、色部勝長は国人衆・譜代家臣に分類されました。
勝長は謙信に従い各地を転戦していた為、第三次川中島合戦においては、出陣を渋っていました。
謙信は勝長のことを気遣いながらも、勝長に対して参陣を懇望します。これに対して勝長は一ヵ月後に謙信からの出陣要請に応じ出陣しました。謙信はこれを喜びます。
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そして第四次川中島の合戦では、猛将で知られる柿崎景家の危機を救うなど戦功をあげました。 戦後奮戦を賞され、上杉謙信より血染めの感状を賜りました。血染めの感状とは血で書かれたものではなく、一族郎党の死傷者(血)の代償として賜ったものです。
このとき同じくして血染めの感状をもらったのは、安田長秀・垂水源二郎・本田右近允・中条藤資・松本忠繁・岡田但馬の七人でした。
下野国佐野城を攻撃で戦功をあげて佐野城将を務めます。謙信は勝長を佐野に派遣するにあたって「一生の忠信」と褒め称えました。
1568年に本庄城主、本庄繁長が武田信玄に内通し謙信に背きました。このとき、勝長は謙信軍として本庄条を包囲しますが、本庄繁長の夜襲に合い陣没。謙信はその死を惜しんだといわれています。
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