宇佐美定満

上杉四天王の一人。上杉二十五将や越後十七将にも数えられ、定満は昔から兵法家として活躍しています。
宇佐美定満は越後守護である上杉定実の配下であった宇佐美房忠の子として生まれました。越後守護の上条上杉家に仕え長尾為景と戦ったが敗れ降伏します。
父・宇佐美房忠は長尾為景と戦いで戦死しました。長尾為景の死後、その子の長尾晴景、そして長尾景虎(上杉謙信)に仕えます。
長尾政景と景虎(謙信)の家督相続争いで、駿河守定満は景虎側について、謙信に反抗していた長尾政景を屈服させた際に戦功をあげました。第四次川中島の戦いにおいても比類ない働きを見せます。
その後、定満は長尾政景と野尻池で舟遊びをしていた際、舟が転覆して政景とともに溺死しました。これは以前から謀叛の噂があった政景を定満が我が身を犠牲にして葬ったといわれています。享年は七十六歳でした。
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定満の死後、宇佐美氏は没落して枇杷島(琵琶島)城も廃城になりました。謙信の軍法とされた越後流軍学の祖と言われる宇佐美定行なる人物と、定満が同一視されていて、謙信を支えた名軍師とされていますが、その素顔は謎に包まれていてよくわかりません。
『北越軍記』では武田家の山本勘助と肩を並べる軍師として活躍しています。
上杉家臣団を知る上で重要な資料である『諸国衆御太刀乃次第写』においては、家中で序列十五位『びわ嶋殿』としてその名が見えるため、功績が過大に伝わっている様子はあるものの、上杉家の重臣であったことは間違いないようです。
- 長尾晴景
- 長尾為景
- 長尾政景
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- 上杉景虎
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- 斎藤朝信
- 甘粕景持
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- 上杉謙信 辞世の句です。











