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    Categories: 武将紹介 朝倉家

真柄直隆

越前・真柄荘の国衆として朝倉氏の客将。朝倉家中でも武勇に優れた人物で、通称十郎左衛門と呼ばれていますが、弟に直澄という人物がいて、直澄も十郎左衛門を称しているため、実像がはっきりとはわかっていません。
直隆の体格は身長2メートルを超え、体重250キログラムに達したといわれています。黒鹿毛の馬で戦場を駆け五尺三寸(約175センチ)もの巨大な太刀「太郎太刀」を振り回して、戦いでは常に暴れまわっていたようです。徳川側の史料「当代記」には「大力剛者、大太刀で無類に働く」とありと評価されています。
刀匠千代鶴の作による大太刀
戦国時代には、片手で振りやすいように刀は短いものが主流でした。直隆、直澄が持っていたとされる大太刀の長さは
「太郎太刀」五尺三寸(約175センチ)
「次郎太刀」四尺七寸(約140センチ)
昔の日本人の平均的な身長(150cmから165cm)と比べると驚異的な長さの太刀です。
この太刀を熱田神宮の宝物殿で実際に見てみると、あまりの長さに威圧感があります。
直隆、直澄、息子の真柄隆基はいずれも豪傑として知られていて、自慢の太刀を戦場で振り回していたようです。
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真柄直隆が挑んだ姉川の戦い
浅井長政の裏切りで、織田信長と浅井長政の同盟関係が崩れます。織田信長は徳川家康を味方につけ、一方で浅井長政は朝倉氏との連合軍で応戦します。両者は、近江国の姉川で激突します。
当初、浅井・朝倉軍が織田軍の十三段構えの陣を十一段まで突破するほど優勢でしたが、徳川軍の勇戦により朝倉軍が後退。これを機に織田軍も総攻撃に転じ、織田・徳川軍の大勝利に終わりました。

真柄直隆の最後
太田牛一の「信長公記」に姉川の合戦で記載があるようです。
織田・徳川軍に押され敗走する朝倉軍を見て、徳川勢の中に踏み留まって奮闘。大太刀を水車のように振り回し、徳川勢を薙ぎ倒し、「志しの者あらば、ひっ組んで勝負せぬか」と返り血で真っ赤に染まった体に、髪を振り乱し、天地も裂けんばかりの怒声を張り上げ、取り囲んだ徳川勢も恐れて近寄る事ができない。この機に大将・朝倉景健は戦場を離脱した。
修羅の如き真柄にたじたじになる三河武士らの中、匂坂兄弟ら3、4名が真柄を取り巻き斬り込んだ。姉川の戦局はここに集中され、真柄ものともせず突き出す匂坂兄の槍を打ち落とし、余る力で兜の吹返を打ち破った。
この時、匂坂兄弟が討ち取った時に使用した太刀は「真柄斬り」と名付けられ、名刀の一つになって現代に伝わっています。

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