成田長親の名言です。

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異色の武将 名言
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武ある者が武なき者を足蹴にし、才ある者が才なき者の鼻面をいいように引き回す。
これが人の世か。ならばわしはいやじゃ。わしだけはいやじゃ。
強き者が強きを呼んで果てしなく強さを増していく一方で、弱き者は際限なく虐げられ、踏みつけにされ、一片の誇りを持つことさえも許されない。
小才のきく者だけが、くるくると回る頭でうまく立ち回り、人がましい顔で幅をきかす。
ならば無能で、人が好く、愚直なだけが取り柄の者は、踏み台となったまま死ねというのか。
それが世の習いと申すなら、このわしは許さん。

(のぼうの城:成田長親)
豊臣秀吉が関東一円を配下に治めようとする小田原征伐が始まると、成田氏は北条氏に属していたため、豊臣秀吉の小田原征伐の時には北条方につきました。忍城の城主成田氏長は北条氏からの求めに応じて小田原城に籠城します。忍城に残った城代の成田泰季が開戦前に病没してしまったために、城代を引き継いだのが泰季の嫡男、成田長親でした。
長親が守る忍城に石田三成を総大将として大谷吉継、長束正家、真田昌幸、信繁などの有名な諸将が名を連ね二万三千もの大軍が攻め寄せます。長親は家臣や武装した農民も含め、約三千の手勢で忍城に立てこもりました。かつては上杉謙信の攻撃にも耐えることができた非常に攻めづらい城です。
三成は長親が守る忍城を落城させるため、忍城を水で囲む水攻めを行いました。総延長二十八キロといわれる堤防を築いて利根川と荒川の水を引き入れますが、堤防が決壊するなどして水攻めは失敗します。北条方の本城である小田原城が降伏するまで持ちこたえた唯一の城でした。のちに開城しますが忍城の城主、成田氏長は秀吉と敵対したにも関わらず領地を与えられています。
仕事でも嫌なものは嫌です。それは自分の素直な感情ですから、嫌なものは嫌でいいと肯定してもいいかもしれません。
嫌なことや、理不尽なことに我慢をすることがありますが心の底では納得がいかない自分がいます。
信念を持っている人は自分の考えを大切にしていいと思います。
戦国武将の名言集に戻ります。

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