島津貴久

「島津の英主」と称えられる島津第十五代当主。
島津忠良(島津日新斎)の嫡男として生まれます。宗家の十四代当主島津勝久の養子になって十五代当主になります。当時薩摩国内で宗家と多数の分家が勢力争いをしていた島津家を父親の島津忠良と共に戦いました。実権を回復せんとする義父島津勝久と戦い、特に島津実久との戦いは十年以上にも及びました。
実久との戦いに勝利すると、薩摩国の統一を果たし島津家飛躍の土台を築きます。薩摩、大隅、日向の守護職と戦い三州の平定に乗り出しましたが、本宗家の家督を継いだ貴久には強敵が立ちはだかっていました。日向随一の大名伊東氏です。
伊藤氏との戦いは大隅合戦と呼ばれる長い戦いで、飫肥城を巡り伊東氏との合戦において、なかなか勝利が得られず二十年以上にわたり大隅をめぐる争奪戦がありました。伊藤氏との最終戦になった四度目の激しい攻防戦で貴久は大敗します。この敗北の痛手は大きく貴久は飫肥地を放棄しました。伊藤氏との戦いは続いていましたが、貴久は隠居して嫡男・義久に家督を譲ります。
貴久は薩摩、大隅、日向の三州平定を果たせませんでしたが、長男の義久、次男の義弘、三男の歳久、四男の家久、それぞれ才能豊かな子供たちが、祖父「忠良」、父「貴久」の悲願である三州統一を引き継ぎました。
貴久は五十七歳でこの世を去ると、その翌年に島津義弘が少数の兵力で大軍を擁していた伊東氏を撃退します。(木崎原の戦い)この戦いをきっかけとして伊東氏は衰退していきました。その後、島津家は薩摩、大隅、日向の三州の太守としての地位を確立させています。
後に九州制覇を成し遂げた戦国大名島津家の基礎を形成したという意味で、父の忠良とともに「中興の祖」と並び称されています。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

ページ上部へ戻る