島左近

戦国武将の中でも頭ひとつとびぬけた剛勇さと軍師顔負けの知略を持ち、政治にも通じていた稀代の武将でした。君主の為ならたとえ煙たがられようとも忠言を行う忠誠心も持ち合わせています。
そんな左近ですが、多くの謎を持っています。まず名乗りからして有名な左近を始め清興・友之・清胤・昌仲・勝猛など色々あってどれが正しいのかさえ明確にはわかっていません。
人生の多くの筒井家に仕えたとされるがその殆どが伝聞のみという実態を持ち、仕えた君主は石田三成を始め、豊臣秀長とその養子秀保、筒井家等を除いて史実に確認ができていません。特に筒井家の武将時代には、士官方法・士官後の活躍と不明瞭な点が多いが、古老達の伝聞にはことごとくその口より、彼の名前が伝えられています。
関ヶ原の戦いにおいて、石田三成と共戦うも、味方の小早川秀秋の裏切りにより、戦っていた田中吉政・黒田長政らと大勢が決した時点で討ち死に覚悟の特攻に出ます。その戦いぶりはまさに修羅のごとく、田中軍を一時後退させるが討ち死にしたとされています。しかし、いくら探しても左近の首は最後まで発見されることはありませんでした。
「治部少に過ぎたるものが二つあり島の左近と佐和山の城」と謳われるほどの逸材で、多くの名声を現代にまで残しながらも、ただの一枚も肖像画が残っていない不思議な武将です。左近は戦国時代でも有数の謎を保有する武将であり、そこに魅力があるといえます。

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