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    Categories: ゆかりの温泉

徳川家康が愛した名湯

日本屈指の大温泉地である熱海温泉は、徳川家康が愛したことでも知られる名湯です。
静岡県熱海市にある熱海温泉は、日本三大温泉のひとつに数えられており、その歴史は千年以上前の仁賢天皇の治世にまでさかのぼると言われています。
温泉街には、大湯、野中の湯、佐治郎の湯、風呂の湯、清左右衛門の湯、河原湯、小沢の湯の熱海七湯と言われる源泉が湧いており、温泉客の体を癒し続けています。その泉質は単純温泉から塩化物温泉、硫酸塩温泉と幅広く、神経痛から慢性消化器病までと様々な効能が認められています。
また、熱海温泉を語る上で外すことができないのが伊豆山権現です。伊豆山権現は、鎌倉幕府の初代将軍である源頼朝が手厚く保護し、「関八州の総鎮守」として関東武者の信仰を集めた由緒ある神社です。各地から伊豆山権現を参拝するために人が集まり、その旅路の疲れを熱海温泉が癒してきました。これは、源氏と称した徳川家康も例外ではなかったようです。
特に戦国武将として天下統一を目指した徳川家康にとって、始めて本格的な武家政権を築き征夷大将軍となった源頼朝は憧れの存在でもあったと言えます。
徳川家康は、天文11年(1542年)に松平家の第8代当主の松平広忠の嫡男として生を受けましたが、幼少期に人質生活を送るなど、不遇の時代を過ごします。戦国武将として名を上げた後も織田信長や豊臣秀吉の陰に隠れ、歴史の表舞台に立つ機会にはなかなか恵まれませんでした。
しかし、鍛錬を怠ることなく、健康に気を遣い、戦国時代では異例の長寿を得ることによって、「鳴くまで待とうホトトギス」という句に現されたように、最後は天下人の地位を獲得します。
このように健康を維持することによって天下を取った家康ですが、これには熱海温泉も大きく関わっています。
家康が初めて熱海の地に訪れたのは、関ヶ原の戦いに勝利を収める前の慶長二年といわれています。天下統一後の慶長九年には、息子である義直(幼名:五郎太丸)と頼宣(幼名:長福丸)とともに再び湯治に訪れて、湯治のために十七日間も逗留したとされています。
家康は熱海の湯が健康回復・維持に効果的であることを知ると京都で病気療養をしていた毛利家の武将、吉川広家に、熱海の湯をお見舞い品として運ばせたそうです。
家康亡き後も、熱海温泉は徳川家御用達の温泉として愛され、第四代将軍の徳川家綱の頃からは、熱海温泉のお湯を江戸城にまで運ぶ「御汲湯」も行われました。熱海七湯のひとつである大湯のお湯を檜の湯樽に汲み、昼夜兼行で15時間もかけて運んだとのことです。
現在は人工的に噴出させていますが熱海温泉 古屋旅館は、かつては地面が揺れるほどの勢いで湯と蒸気を噴き出したという大湯間歇泉です。昨今は色や匂いのある温泉などが注目される向きもありますが、江戸時代は無色透明で匂いもない温泉が良質だとされていました。近年の科学的分析でも熱海の温泉の質は、かなり優秀であることがわかっています。
人一倍健康に気を遣い、この時代にしては大往生といえる七十五歳まで生き延びた家康が愛した熱海の湯。ぜひともその恩恵に授かりたいものです。

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