カテゴリー:武将紹介 武田家
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武田義信 辞世の句です。
詳細を見る武田信玄の長男であり、後継者として期待されていました。しかし、桶狭間の合戦で今川義元が戦死したことで、人生が一変してしまいました。 出自 1538年に、武田信玄の子として生まれ…
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武田信虎
詳細を見る武田信玄の父です。信玄によって追放された暴君としてくらいしか知られていませんが、その活躍と生涯は大きく後世に影響を与えています。 誕生から家督相続まで 古くは遙か西国の安芸守護…
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武田信玄 辞世の句です。
詳細を見る甲斐(山梨県)の守護の家柄で信虎の子、名は晴信です。(信玄とは出家後の法名) 父、信虎は十四歳で後継者争いに勝ち武田家の家督を継ぐと、わずか一年で甲斐一国の統一に成功したほど戦上…
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武田信繁
詳細を見る甲斐武田氏十八代信虎の子で、信玄の弟。幼名は次郎。通称、左馬助を称したことから、左馬助の唐名である「典厩」の名で親しまれます。幼い頃から利発で、信虎に寵愛されていました。父、信虎は…
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武田勝頼 辞世の句です。
詳細を見る武田信玄の四男。側室である諏訪御料人の子です。 諏訪家はもともと信濃の名家でしたが、頼重の代に信玄に滅ぼされます。信玄は諏訪家やその家臣などを懐柔するため、頼重の娘を側室にしまし…
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山本勘助
詳細を見る武田家の軍師として有名ですが、山本勘助の存在を架空の人物だと思われた時代が長く、その理由に勘助の事が書かれた確かな文献が『甲陽軍艦』以外には見られないことや、武田晴信(信玄)から、…
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小畠虎盛
詳細を見る幼名は孫十郎。遠江の出身で、父親が甲斐 武田家に仕官し信虎に仕えるために、子 孫十郎も一緒に甲斐の国に入りました。 信虎に反旗を翻した今井信是を鎮圧するために、父親が出陣し討死す…
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土屋昌次
詳細を見る武田晴信の守役である金丸虎義の次男で、武田家譜代家老の子として生まれました。 武田信玄の嫡男 義信の謀反を起こしたとき、家臣を鎮静させ取り纏めるために山県昌景や甘利信忠らと共に奔…
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仁科盛信
詳細を見る武田二十四将の一人。武田信玄の五男で、母は側室 油川夫人です。 異母兄は、武田義信、武田勝頼です。信玄の死後は、武田家の家督をついだ勝頼に仕え、高遠城主となりました。 織田・徳…
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飯富虎昌
詳細を見る『飫富』と書き、「おぶ」と読む珍しい苗字です。武田信虎に仕え武田二十四将のひとりです。 武田騎馬軍団の中で、虎昌率いる部隊の旗、鎧や馬具、甲冑や具足、刀の鞘といった武者が身に着け…
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穴山信君
詳細を見る武田信虎の重臣だった穴山 信友の嫡男で、母は信玄の姉、妻は信玄の娘という武田家筆頭の血筋でした。幼名は勝千代。穴山信君と名乗っていたが、出家して梅雪となります。武田二十四将の一人。…
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内藤昌豊
詳細を見る武田二十四将の一人、武田四名臣の一人です。 最近の研究では、内藤昌豊でなく、内藤昌秀が正しい名ではないかといわれています。 武田信虎の重臣、工藤虎豊の次男として生まれ、工藤祐長…
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原虎胤
詳細を見る下総国の千葉氏の一門で、原友胤の子として生まれましたが、合戦で領地を追われ、甲斐の武田氏を頼り信虎家臣となりました。 父、友胤が仕官した頃は、まだ甲斐は統一されておらず、いくつか…
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保科正俊 辞世の句です。
詳細を見る信濃の保科正則の子として生まれます。武田信玄の信濃侵攻が始まり、正俊は高遠城主 諏訪頼継の家老として信玄を迎え撃ちました。 しだいに信濃の諸将が落ちていき、信玄の信濃支配が進んで…
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馬場信春
詳細を見る旧姓名は、教来石(きょうらいし) 景政。武田四天王の一人。信虎、信玄、勝頼の三代に仕えています。 祖先は美濃国から諏訪との国境近くの甲斐国の教来石村に移り、教来石氏を名乗っていま…
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山県昌景
詳細を見る甲斐武田氏の家臣で、武田四天王の一人で武田二十四将の一人でもあります。旧名は飯富源四郎。その後、飯富三郎兵衛と名乗ります。 信玄の嫡男 武田義信の傳役として、厚い信頼を得ていた兄…
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秋山信友
詳細を見る秋山信友は、武田信玄、武田勝頼の二代に仕えた重臣で、武田二十四将の一人です。 十六歳の時に、諏訪頼重攻めの初陣で首級をあげる初手柄をたて、さらに伊奈福与城攻めでは一番乗りの戦功を…
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高坂昌信
詳細を見る戦国時代の武将。武田四名臣の一人で、武田家二十四将の一人でもあります。信玄、勝頼と二代に仕えました。山梨県の石和の豪農で春日大隅の息子で、春日虎綱といいました。父が他界したあと遺産…











