カテゴリー:戦国武将 辞世の句
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武田義信 辞世の句です。
詳細を見る武田信玄の長男であり、後継者として期待されていました。しかし、桶狭間の合戦で今川義元が戦死したことで、人生が一変してしまいました。 出自 1538年に、武田信玄の子として生まれ…
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水野忠邦 辞世の句です。
詳細を見る奇抜な方法で老中首座となりました。天保の改革を実施しようとしましたが、過激な内容に反対が強く、断念せざるを得ませんでした。 老中になるまで 1794年、肥前唐津藩で生まれました…
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黒田官兵衛 辞世の句です。
詳細を見るおもひおく 言の葉なくて つひにゆく みちはまよわじ なるにまかせて 「思い残す事は無い」 「我が人生に一片の悔いなし」 「悔いはない」 「本望だ」 充実した人生を生きた…
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波多野秀治 辞世の句です。
詳細を見る丹波の小勢力ではありましたが、その動向は織田信長の動きを牽制し、様々な謀反とも結びつきました。意外と、後世に大きな影響を与えた人物かも知れません。 誕生から家督相続まで 誕生に…
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別所長治 辞世の句です。
詳細を見る播磨東部の有力な勢力で、織田信長に臣従していましたが、不満を募らせたことで謀反を起こしました。およそ二年に及ぶ籠城戦の末、切腹して果てました。 誕生から家督相続まで 1558年…
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三村元親 辞世の句です。
詳細を見る備中の大名として、宇喜多直家との戦いに生涯を捧げました。戦績は思わしくなく、最後は毛利氏によって滅ぼされることとなります。 誕生から家督相続まで 生年不明ですが、三村家親の次男…
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織田信孝 辞世の句です。
詳細を見る織田信長の息子の一人であり、家督の相続には近い位置にいました。しかし、豊臣秀吉によって妨害され、ついには自害に追い込まれます。 誕生から神戸氏の家督相続まで 誕生は1558年。…
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今川氏親 辞世の句です。
詳細を見る有名な今川義元の父に当たります。また、北条早雲の甥でもあり、後北条氏躍進の第一歩を支援した人物でもありますので、後世に与えた影響も計り知れません。 誕生から家督相続まで 147…
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蒲生氏郷 辞世の句です。
詳細を見る織田信長に気に入られ、豊臣秀吉からも高く評価された名将です。長生きしていれば、関ヶ原の展開はまた違ったものになったことでしょう。 出自 生年は1556年。蒲生賢秀の三男として誕…
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筒井順慶 辞世の句です。
詳細を見る二歳にして当主となりました。このような場合外部からだけでなく、内部からも攻撃を受けるのが常ですが、幸いにして順慶は無事に成長を待たれました。 誕生から家督相続まで 1549年に…
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細川忠興 辞世の句です。
詳細を見る非凡な才を持っていたことは間違いなく、豪傑でもあり文化人でもありましたが、どこか不調和な違和感を残す人物でもあります。 出自 1563年の生まれで、父は細川藤孝です。誕生時には…
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大内義隆 辞世の句です。
詳細を見る陶晴賢の謀反によって命を落とした有力大名です。 文弱とされてはいますが、さすがの内政力で山口を西京都と呼ばれるほどに隆盛させました。 ただの暗愚でなかったのは間違いありません。…
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陶晴賢 辞世の句です。
詳細を見る戦国時代と言えば下克上の時代です。京の周辺では裏切りはするが主君を殺めるところまではいかないような、複雑な思いが散見されますが、晴賢はもっとわかりやすい人物でした。 出自 15…
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朝倉義景 辞世の句です。
詳細を見る浅井長政の同盟者として有名で、共に戦い共に滅んだという印象が強いかと思いますが、実際のところ、義景の方は戦いは苦手だったようで、戦績に見るべきものはありません。が、一般的な評価ほど…
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柳生宗矩 辞世の句です。
詳細を見る剣の達人で知られる柳生石舟斎の息子で新陰流を継承するも、剣術家として以上に、幕府の影での暗躍を描かれることの多い人物です。 出自 1571年、父柳生宗厳の五男として生まれました…
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斎藤義龍 辞世の句です。
詳細を見るマムシで知られる美濃の斉藤道三の息子です。父には暗愚と評されましたが軍才にあふれ、統治も順調でした。もし長生きしたならば、信長の勢力拡張に多大な影響を及ぼし、歴史が変わっていたかも…
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今川義元 辞世の句です。
詳細を見る今川義元と言えば、桶狭間の戦いで、戦力的に圧倒的優位にあったにもかかわらず、織田信長の奇襲を受けて討ち取られてしまいました。 その後、今川家は滅亡に向かいます。桶狭間の戦いがなけ…
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松永久秀 辞世の句です。
詳細を見る乱世の梟雄として有名な、戦国時代の大悪人として知られています。善良だったかまでは定かではありませんが、作られた人物象で語られていることも多いのも事実です。 出自 1510年頃の…
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竜造寺隆信 辞世の句です。
詳細を見る冷酷非情で、「肥前の熊」の異名をもって周辺諸国に恐れられた竜造寺隆信。 大友、島津と並んで、九州の三強のひとつとして有名になりました。 頭脳明晰で、力も強かったと云われています…
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高橋紹運 辞世の句です。
詳細を見る紹運が討ち死にした岩屋城申の丸跡には、家臣の子孫たちによって建立された「嗚呼壮烈岩屋城址」という石碑があり、現在でも彼と彼の家臣763名の命日である7月27日には、縁者によって追悼…
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立花道雪 辞世の句です。
詳細を見る勇猛かつ知略に長けた闘将。鬼とも雷神とも呼ばれた九州の雄で、大友義鑑、宗麟の二代にわたり大友氏に仕えた戦国武将です。 道雪は、1513年に豊後の国で、鎧岳城主、戸次親家の次男とし…
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北条氏政 辞世の句です。
詳細を見る北条氏政は後北条氏の四代目の当主です。 1538年(天文7年)に生まれた北条氏康の次男。兄が夭折したことにより北条新九郎氏政と名乗って世子となっています。幼名は松千代丸。 氏政…
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北条氏康 辞世の句です。
詳細を見る北条氏康は戦国時代の武将であり、相模の国の大名でもあります。後北条氏の二代目当主である北条氏綱の嫡男として1515年(永正12年)に小田原の地で誕生しています。幼名は新九郎と言いま…
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斉藤道三 辞世の句です。
詳細を見る捨ててだに この世のほかは なき物を いづくかつひの すみかなりけむ 斉藤道三は美濃の国の戦国大名。織田信長の義理の父。道三は一代で美濃の国取りをしたと言うのが通説であるが、最近…
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最上義光 辞世の句です。
詳細を見る最上義光は伊達政宗のライバル、悪役としてのイメージが強いかもしれません。 調略に次ぐ調略で相手方の戦力を削ぎ落としながら戦う姿から「羽州の狐」などと呼ばれることもあれば、さらに、…
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駒姫 辞世の句です。
詳細を見る駒姫は、1581年出羽国最上義光の次女として生まれました。 駒姫は、東国内でもその美貌は名を馳せており、両親も駒姫を溺愛していたと言われています。 やがて、美人であるという評判…
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細川ガラシャ 辞世の句です。
詳細を見る細川ガラシャは、1563年明智光秀の娘として生まれました。ガラシャはクリスチャン名で、和名を玉と言います。十六歳のときに織田信長の勧めにより、細川忠興のもとに嫁ぎました。玉は美女で…
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お市の方 辞世の句です。
詳細を見るお市の方は織田信秀の娘として生まれました。兄は織田信長です。戦国一の絶世の美女で聡明だったといわれています。天下統一をめざす信長は、近江の浅井長政と同盟を結ぶためにお市と長政を結婚…
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本多正信 辞世の句です。
詳細を見る本多正信は、1538年に本多俊正の次男として三河で生まれました。通称として弥八郎とも呼ばれます。「徳川二十将」の一人と言われています。四十石の鷹匠として徳川家康に仕え、桶狭間の戦い…
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大祝鶴姫 辞世の句です。
詳細を見るわが恋は 三島の浦の うつせ貝 むなしくなりて 名をぞわづらふ 鶴姫は大山祇神社の大祝職(大宮司)・大祝氏の娘。兄に大祝安舎と大祝安房がいます。 父・安用は顔立ちが整った体格が…
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武田信玄 辞世の句です。
詳細を見る甲斐(山梨県)の守護の家柄で信虎の子、名は晴信です。(信玄とは出家後の法名) 父、信虎は十四歳で後継者争いに勝ち武田家の家督を継ぐと、わずか一年で甲斐一国の統一に成功したほど戦上…
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武田勝頼 辞世の句です。
詳細を見る武田信玄の四男。側室である諏訪御料人の子です。 諏訪家はもともと信濃の名家でしたが、頼重の代に信玄に滅ぼされます。信玄は諏訪家やその家臣などを懐柔するため、頼重の娘を側室にしまし…
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保科正俊 辞世の句です。
詳細を見る信濃の保科正則の子として生まれます。武田信玄の信濃侵攻が始まり、正俊は高遠城主 諏訪頼継の家老として信玄を迎え撃ちました。 しだいに信濃の諸将が落ちていき、信玄の信濃支配が進んで…
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竹中重治 秀吉への最期の言葉です。
詳細を見る竹中重治、または竹中半兵衛と呼ばれます。竹中重治は1544年、斎藤道三の家臣・遠江守重元の子として生まれました。重治は家督を継ぐと、不破郡一帯に勢力を拡げました。重治が有名になった…
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豊臣秀次 辞世の句です。
詳細を見る三好吉房と日秀院(羽柴秀吉の姉)の子として1568年に生まれました。織田信長が本能寺の変によって倒れされると、羽柴秀吉は山崎の地にて 明智光秀軍を破りました。英次の初陣はこのときで…
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佐々成政 辞世の句です。
詳細を見る信長の家臣団には木下藤吉郎や滝川一益など出自がはっきりしない人物が多いことが特徴となっていますが、その中で佐々成政は自前の城と領地を持つ由緒ある武家に生まれています。 佐々家は小…
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佐久間盛政 辞世の句です。
詳細を見る信長の家臣として活躍し、その猛将ぶりから“鬼玄蕃”と渾名された武将が佐久間盛政です。 天文23年(1554年)尾張に生まれた盛政は永禄11年(1568年)に初陣すると越前手筒山城…
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真田信繁 辞世の句です。
詳細を見る定めなき浮世にて候へば、一日先は知らざる事に候。我々事などは浮世にあるものとは、おぼしめし候まじく候。 大坂夏の陣直前の3月19日に書かれた小山田茂誠に送った手紙の一節です。明日…
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足利義輝 辞世の句です。
詳細を見る足利義輝は、室町幕府十三代の将軍です。1536年に、父である十二代義晴の子として生まれました。生まれた後には近衛尚通の猶子(ゆうし・親戚関係にある人や他人と親子の関係になる制度)に…
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島津義弘 辞世の句です。
詳細を見る薩摩国守護であった島津貴久の次男として誕生しました。母は入来院重聡の娘。 祖父は忠良(日新公)。のちに兄・義久、弟・歳久、末弟・家久と合わせて「島津四兄弟」 と称されます。兄の義久…
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真田信之 辞世の句です。
詳細を見る真田家を存続させた功労者 真田信幸(信之)は、真田信繁(幸村)の兄。 大阪夏の陣、冬の陣で華々しい活躍している弟の影に隠れていますが、とても優秀な兄です。父の昌幸と共に戦った戦…
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明智光秀 辞世の句です。
詳細を見る順逆二門に無し 大道心源に徹す 五十五年の夢 覚め来れば 一元に帰す 心しらぬ 人は何とも言はばいへ 身をも惜まじ 名をも惜まじ いかにも武将らしく潔い辞世の句です。 心…
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毛利元就 辞世の句です。
詳細を見る友を得て なおぞ嬉しき 桜花 昨日にかはる 今日のいろ香は 毛利元就は安芸の小規模な国人領主から中国地方のほぼ全域を支配下に置くまでに勢力を拡大し、一代で中国地方を制覇します。 …
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上杉謙信 辞世の句です。
詳細を見る極楽も 地獄も先は 有明の 月の心に 懸かる雲なし 越後国の武将で、越後の虎とも越後の龍とも呼ばれた武将です。上杉謙信は私欲の少ない、清廉の人として知られています。戦国時代屈指の…
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大谷吉継 辞世の句です。
詳細を見る石田三成との友情を取り、勝ち目のない戦に身を捧げた義の武将です。羽柴秀吉の小姓として仕え馬廻衆として数々の戦いに従軍します。 本能寺の変で、織田信長が亡くなると、羽柴秀吉と柴田勝…
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石田三成 辞世の句です。
詳細を見る筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり 石田三成ほど相反する人物像があり、しかもその評価が曖昧な人物はいません。 かつては豊臣政権中枢で権勢を振るって…
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柴田勝家 辞世の句です。
詳細を見る織田信長の家臣で、織田氏の拡大に尽力した猛将です。信長の敵として、そして後継者の一人として戦い続け、ちょうど新しい時代の移り変わりに生きました。 出自 勝家以前の柴田氏の資料は…
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伊達政宗 辞世の句です。
詳細を見る曇りなき 心の月を 先だてて 浮世の闇を 照してぞ行く 政宗は、永禄十年、伊達輝宗の嫡子として米沢城に誕生しました 母は最上義光の妹。幼名は梵天丸。幼時に疱瘡にかかり、右目を失…
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豊臣秀吉 辞世の句です。
詳細を見る名もなき庶民から織田信長の配下になり、 清洲城の普請奉行、台所奉行などを率先して引き受けて大きな成果を挙げ頭角を現すことになります。 優れた才能を発揮し、斎藤氏と戦った際は墨俣に…
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井伊直政 辞世の句です。
詳細を見る徳川四天王の一人です。井伊直政は、1561年に今川家の名門譜代、井伊直親の子として生まれました。幼名を虎松といいます。 井伊直親の長男。祖父・直盛は今川義元に仕えて合戦で戦死。父…











